第五話「血戦」(その9)


「やれやれ」

 至急、司令室へという呼び出しを受けた大神の第一声はそれだった。
 なにせ、従卒の周防が紅茶をカップに注いだ、丁度、その瞬間だったからである。

「とっておきましょうか、大神閣下?」
「甘いぞ、周防。当分は戻れないよ」

 表情としては笑っていたが、目は真剣そのものである。
 実際、司令室で彼にもたらされた情報は、(大神の予感通り)重大なものだった。

「やはり来るのか」

 10月23日1040。
 哨戒中の二式大艇がフィリピンに接近中の米艦隊を発見したという報告だ。
 それは、高速輸送船と巡洋艦を中心とする護衛艦隊から成る部隊である。

「増援部隊に間違いないでしょう」

 加山の見立てに皆が頷いた。
 フィリピンでの戦闘の焦点であるルソン島バターン半島への増援部隊だろう。
 彼我の航空兵力などを勘案すると、戦線後方に逆上陸などはできないだろうが、コレヒドールやパターン半島へそのまま上陸されるだけでも厄介だ。
 時間がかかればかかるほど、国力の差が戦力の差となって、日本軍を不利に追い込む。

「どうします、大神提督。出ますか?」

 出す、といえば、この機動部隊本隊──五航戦『瑞鶴』『翔鶴』を前進させて、米艦隊を攻撃するということだ。

「いや、まだだ」

 本来、艦隊を攻撃するには、空母機動部隊が最も適している。
 なぜならば、“基地”の位置が露呈していないため攻撃隊が発進したことや、その方角がわからないため退避しにくいこと、そして何より、対艦攻撃のための装備と訓練をつんでいるからだ。
 だが、大神はそれを行おうとはしなかった。

「まさか裸で輸送部隊だけは来るまいよ」
「まあ、そうでしょうな」

 大神は、この輸送部隊のほかに機動部隊がいると予想した。
 制空海権下にただ水上艦隊を突っ込ませるようなことはしまい。
 となれば、大神機動部隊本隊が積極的に前線に出ずに存在を秘匿し続けているのは、米機動部隊と対戦するためなのだ。肝心の米機動部隊を発見してからでなければ動かすのは早い。
 ならば、もう一つの機動部隊(六航戦)で攻撃したいところだが、こちらは変則編成を採用したため、戦闘機しか積んでいないから艦隊攻撃ができない。

「中攻と陸軍の航空部隊にやってもらうか」
「うちの中攻はともかく、陸軍じゃ駄目でしょう」

 大神の言葉に、源田航空参謀が口を挟む。
 中攻とは、中型攻撃機の略であり、海軍が所有する双発の陸上(!)攻撃機だ。具体的には九六式陸上攻撃機と一式陸上攻撃機を指す。これらは長大な攻撃力と、双発機でありながら雷撃による対艦攻撃をこなすことができるという機体である。艦隊攻撃兵力として大きく期待されているのだ。既に海軍はこれをフィリピン北部の飛行場に進出させている。
 ただし、これを護衛する戦闘機に問題がある。
 相変わらず、零戦は空母機動部隊用に優先的に配置されているため、フィリピンに展開した海軍陸上航空部隊は旧式の九六式艦上戦闘機のままなのだ。
 そこで、陸軍航空隊に護衛させようというのが大神の考えだろう。

「あの連中じゃ、洋上航法なんてできません。迷子になって堕ちられちゃ、たまりません」

 大神も苦笑する。
 硫黄島の時は、島の防空に専念してもらうことで、それをカバーした。
 しかし、敵艦隊攻撃となれば、洋上を飛行しないことにはしょうがない。
 地形と照合しながら飛べる陸上とは違い、洋上での航法は天測や計器航法など特殊な訓練を必要とする。これは海軍でも単座(操縦士しかいない)の戦闘機では正確なものは難しく、長距離海上飛行の場合には操縦士とは別に航法士を乗せている三座の艦攻などが先導するほどである。
 ましてや、陸軍航空隊は、基本的に陸軍を支援する=陸上を飛行するものだから、その洋上航法能力は著しく劣るのだ。

「いや、実際の成否は問題じゃないぞ、源田参謀」
「どういうことですか?」
「ここでは、要請をしたというその事実自体が必要なんだよ」
「……政治、ということですか」
「そうだ」

 この作戦は陸軍主導で進められた作戦である。
 もし、この対応をじくじった時には、もちろん、海軍はなじられるだろう。
 しかし、成功したとしても、海軍が手柄を独り占めしたとでもいいかねない。

「要請して、成功すれば問題なし。彼らが失敗しても断っても、しばらくはおとなしくというわけか」

 加山が忌々しげに言う。
 なんで陸軍のために気をつかわねばならないのか、そう如実に物語っている。
 大体、陸軍がフィリピン攻略をゴリ押ししなければ、こんな苦労はせずに済んだのにと。
 それに、大神はやれやれ、といった風をつくった。

「仕方ないさ。求めるべきは勝利。そのためには多少の小細工はな」
「いや、賢明だと思います」

 源田は大神に賛同した。
 彼は、参謀としての腕もあるが、政治向きの話も好きな御仁である。
 加えて源田は辻を嫌っているのだから、陸軍の行動を“縛る”ことに賛成するのは、ある意味、当然の反応といえよう。
 もっとも、加山に言わせれば「ありゃ、近親憎悪だな」というものだったが。

「加山、こういうことだよ」

 大神も、このようなことを考えるのは好きではないのだが、好き嫌いを言っている場合ではない。これくらいで、勝利に近づけるのであれば簡単なものだ。

「まあな。だが……そっちばかりに気をとられすぎるなよ」

 加山も元々、月組隊長。そうした工作が必要なことはわかっている。
 帝撃も政府、陸軍、海軍、賢人機関、財閥と各勢力の間で多くの折衝を繰り返すことを余儀なくされていたのだから。
 だが、それを好むかどうかはまた別問題だ。
 まして、対陸軍の“政争”に気をとられて対米が疎かになっては本末店頭である。
 帝撃時代の、時に調子に乗りすぎたり考えすぎたりする大神を知る加山だからこその言葉だろう。

「わかってる。それより、加山。源田参謀と一緒に攻撃要請を起案してくれ」
「了解」

 これにより、海軍第二一航空戦隊の一式陸上攻撃機十六機と第二二航空戦隊の九六式陸上攻撃機八機、それに陸軍飛行二四戦隊の一式戦『隼』十二機が1510に出撃する。
 しかし、先導機を出すことを申し出た海軍に、陸軍側は「気遣い無用」と、その実、面子から断った。案の定というべきか、陸軍側に航法ミスが発生し、会合予定だった洋上での会合に失敗。
 それでも、海軍の中攻隊は構わず進撃するものの、敵艦隊を捕捉することができなかった。
 天候が悪く、雲が低かったことがことが影響したことと、おそらく米艦隊が進路を反転に近く変針したためである。

「こりゃ、ますます空母は近くにいるんじゃないか?」

 米増援艦隊の変針という推察から、加山はそう導き出した。

「ということは、この情報はガセってことですかな」

 源田が示したのは、聯合艦隊司令部からの情報で、米空母群がトラック北方で活動中とするものだった。

「ガセとまではいわないですがねぇ……あまり盲目的に信じる情報ではないんじゃないですかね。源田参謀もそう思ってるんでしょう?」
「そうだな」

 そして、大神も同じ予想をしていた。

「真実かもしれんし、あるいは誤情報かもしれん。だが、我々にとって重要なのは、今、ここにも空母がいるに違いないということだ」

 大神は断言する。
 今までのパターンから考えて、米軍は無謀な作戦は立案しない。
 仮にこちらに本格的空母がいることをわかっていなかったにしても、既に航空隊が展開して制空権をとられていることにはかわりない。
 そんな中に接近してくる上陸部隊だ。必ずの援護のために空母機動部隊はいる筈だ。
 大神が、最初に米艦隊発見の報告を受けた時からの確信は変わらない。
 もちろん、参謀の中からは逆の見方で「空母がいないからこそ、変針して逃げたのではないか」という意見もあった。
 だが、そんなに米軍が生易しい相手だったら、大神も苦労していない。

「原少将に連絡して、陸軍の支援を停止。それと、『瑞鳳』の艦載機を6機だけ残して、他の二艦に艦載機を乗せ換えさせて駆逐艦1隻をつけて下げさせるんだ」

 既に重なる戦闘により艦載機が減少していた軽空母群から1隻を下げさせる。
 そして、機動部隊の前衛の位置につくようにとの進路や、重巡『利根』『筑摩』の水偵を発艦させて二段索敵の開始など細かい命令を下した。
 原中将は航空部隊指揮官としては専門外であるからだ。
 適材適所を実行している帝國海軍とはいえ、人材には限りがある。航空戦を的確に指揮できる人材はそう多くないのだ。聯合艦隊司令長官になった小沢、現機動部隊の長官の大神の他は山口多聞、角田覚治くらいのものだろう。しかし、山口、角田とも既に航空戦隊の司令職についている。
 それで、消去法ではあったが、命令を忠実には実行する原が軽空母群の指揮官に任命されたというわけだ。
 ただ、不慣れなだけに、細かに方針を与えなくては、損害を恐れるあまりに消極的になるきらいがあるのは仕方のないところだろう。
 だが、この空母を下げさせる指示には、単に細かい指示という以上の重大な意図も隠されていた。

「なるほど、三隻は失えませんからな」

 源田がさらっと指摘してみせる。
 前衛に空母を置くということは、そこに攻撃が集中することは容易に想像できる。
 要は囮的な役目だ。
 それで軽空母三隻を失うことはできないと言っているのだ。

「失うと決まったわけではないさ」

 大神の返答もはぎれが悪い。
 硫黄島沖海戦の時には『島を囮にする』という源田の作戦案に抵抗感を示した大神が、今回は囮作戦を立案しているのだ。

「戦略目標はフィリピン攻略作戦の成功。作戦目標は敵増援部隊の撃退。そのためにということか」
「ああ。俺にはこれ以上の作戦は思いつかんよ」

 軽空母群を合流させるなどして、囮を用いない戦い方をすることはできる。
 だが、その場合、戦いはおそらく「勝利か敗北か」」という極端な結果を招く可能性が高い。勝利できればともかく、敗北した場合には、艦隊のみならずフィリピンで作戦中の山下第二五軍全てが危機にさらされる。
 今まで、相手の攻撃を挫くために乾坤一擲の作戦を行ってきていたのとはそこが異なる。大神は、戦略・作戦目標をより確実に達成できる、確率の高い作戦を選ばざるをえなかったのだ。
 もちろん、軽空母を失い、搭乗員を失うことは、次回以降の戦いには大きく響いてくるのは承知の上である。
 大神にとって、今回の戦いは苦渋の選択の連続だ。
 少しでもベターな選択を積みかさねることしか、彼にはできない。

「全艦隊、敵機動部隊に対する警戒態勢を維持」

 第二次フィリピン海戦がはじまろうとしていた。


<<第二次フィリピン海戦>>
聯合艦隊司令長官:小沢治三郎大将(在横須賀鎮守府)
フィリピン攻略艦隊(司令官:大神一郎中将)
 機動部隊本隊(大神一郎中将中率)
  第五航空戦隊(大神一郎中将中率)
   空母『瑞鶴』『翔鶴』
  第三戦隊第一小隊
   戦艦『金剛』『榛名』
  第一〇駆逐隊
   駆逐艦4
  第一六駆逐隊
   駆逐艦3
  付属
   駆逐艦1

 機動部隊前衛(司令官:原忠一少将)
  第六航空戦隊
   軽空母『瑞鳳』『祥鳳』『龍驤』
  第三戦隊第二小隊
   戦艦『比叡』『霧島』
  第七戦隊
   重巡『熊野』『鈴谷』
  第八戦隊
   重巡『利根』『筑摩』
  第一〇戦隊
   軽巡『長良』、駆逐艦3

 支援艦隊(司令官:近藤信竹中将)
   第一戦隊
    戦艦『大和』『長門』『陸奥』
   第四戦隊
    重巡「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海」
   第五戦隊第一小隊
    重巡『妙高』『羽黒』
   第四水雷戦隊
    軽巡『由良』、駆逐艦7

 護衛隊(司令官:田中頼三少将)
  第二水雷戦隊
   軽巡『神通』、駆逐艦6

 砲撃支援隊
  駆逐艦4

 航空部隊
  第一一航空戦隊
   水上機母艦『千歳』『山陽丸』
  第四駆逐隊
   駆逐艦2

太平洋艦隊司令長官:ニミッツ大将(在ハワイ)
 第61任務部隊(ウィリアム・F・ハルゼー中将)
  旧第11任務部隊
   空母『ラングレイ』
   重巡『ニューオリンズ』『ミネアポリス』
   駆逐艦5

  旧第16任務部隊(トーマス・C・キンケイド少将)
   空母『レンジャー』
   戦艦『ノースカロライナ』
   重巡『ポートランド』
   軽巡『アトランタ』
   駆逐艦5隻

  旧第18任務部隊(フォレスト・P・シャーマン大佐)
   空母『エセックス』
   重巡『サンフランシスコ』『ソルトレイクシティ』
   駆逐艦6

  巡洋艦部隊(ノーマン・スコット少将)
   重巡『ノーザンプトン』『ペンサコラ』
   軽巡『ボイス』『ヘレナ』
   駆逐艦5

 

つづく


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