其の参 ―流山・別れの時―

 慶応四年 一月。
 鳥羽・伏見の戦いは数の上では圧倒的に優勢であった幕府側の惨敗に終わった。最新鋭の銃砲と薩長陣地に翻った錦の御旗によって、幕府側は総崩れとなったのだ。
 新撰組も奮戦するが、多くの隊士を失い、そして幹部たちも……
 六番隊組長・井上源三郎、自爆。
 監察方・吉村貫一郎、戦死。
 監察方・山崎 烝、重傷。
 局長代理・真宮寺竜馬、行方不明。
 竜馬は見廻組の佐々木只三郎と共に離反した藤堂藩の陣に突撃をかけ、消息を絶ってしまった。生還する可能性は無いに等しい。

 壮絶な闘いを終え、隊士も百名足らずにまで減ってしまった土方ら新選組は止むを得ず退却。大坂へ移った。
 しかし、その大坂で土方たち、新撰組の生き残りたちを待っていたのは、驚くべき報せだった。

「将軍様も、会津様も……もうお城には居ませんよ。」

 大坂で療養中だった近藤と総司から、その報せを受けた。
 十五代将軍・徳川慶喜は、鳥羽・伏見の敗戦と薩長陣地に錦旗が翻ったという報告を聞くと夜中に大坂城を脱出。湾内に停泊中であった軍艦・開陽丸に乗り込んで江戸へ向かった。
 まるで夜逃げのようなこの脱出劇。現在でも議論の分かれる所であるが、戦場で命を懸けて戦っていた新撰組はじめ幕府軍の兵士たちに、どう取られたかは明白である

「……ぬあああぁぁぁぁっ!!」

 土方は庭に飛び出し、狂ったかのように木や花を刀で斬りつけた。

「腰抜けめ! 腰抜けめ!! 腰抜けめ!!! 何が神君家康公以来の英傑だ!! 戦場で戦っている部下を見捨てて、それでも将軍かぁっっ!!」
「よせ、トシ!!……誠、忠義の武士なら主君を愚弄するような言葉は決して口にせん!!」

 その後、慶喜逃亡と新撰組は江戸へ移動するという報せは、土方から各組長に伝えられた。

「おぉ、土方さんよぉ。……江戸に行くのはいいけど、竜さんのこたぁどうするんだ?」
「伊勢藤堂藩の陣地に斬り込んだまま、行方がわからなくなっているんですが……」
「わかっている。しかし、命令だ。明日には富士山丸が出港するのだ。長くは待っていられない。」

 そこで新たな問題が浮上した。山崎のことである。
 山崎 烝は腰と肩に銃弾を受け、さらに応急処置が遅れたために大坂に着いてからは寝たきり状態であった。医師の診察では船に乗せることは難しいという。

「……どうする、トシさん。」
「仕方あるまい。医者が無理だと言っているんだ。置いて行くのが、本人のためだろう。それに、山崎君は大坂の出身だという。山崎君は新撰組のために大いに働いてくれたのだ。もう、彼に苦労はかけさせたくはない。」
「同感だ。しかし……本人はああいう一途な性格だからな。きっと承服しまいな。」
「……だからといって連れて行くわけにはいかん。正直に話してみるさ。」

 土方は山崎の寝ている部屋を訪ねた。
 横になっている山崎は衰弱しているのがよくわかる。こんな状態で船に乗せれば命を落とすことは目に見えている。

「山崎君……土方だ。」
「……あ……土方副長……・」
「……どうだね、具合は?」
「……お陰さまで……少し楽になりました。……それより、新撰組は江戸へ行くそうですね……」
「そうだ。……そのことで、君に話がある。」

 勘の鋭い山崎は、土方がこれから何を言おうとしているか、全て察していた。

「……私を……置いて行くというのですね?」
「……」
「仕方の無いことです……私はこんな体です。付いて行けば……きっと足手まといになります。みなさんにご迷惑をかけるわけにはいきません……」
「山崎君……」
「ですが……新撰組から完全に脱退するわけじゃありません。必ず……必ず、体を治して、駆けつけます。私は、新撰組の山崎 烝です。死ぬ時は……誠の旗の下で、武士らしく死にたいのです。」

 結局、これが土方と山崎の最後の別れとなった。
 新撰組監察部の最古参である山崎 烝がこの後、傷を治すことが出来たのか、はたまた命を落としたのか、なぜか新撰組に正式な記録は残されていない。

 その夜、永倉や斎藤は一晩中、竜馬の帰りを待ち続けた。

「一さんよ、竜さん……帰って来られると思うか?」
「……正直に言うと、難しいだろうな。……・生きていたとしても、もしかするとケガで身動きが取れないんじゃないかな。」
「……うむ……・何とか、無事でいて欲しいんだが……・」

 しかし結局、竜馬は帰ってこなかった。
 そしてとうとう、新撰組は富士山丸に乗船し、いよいよ出港というその時を迎えた。

「トシ。とうとう……竜さんは帰ってこなかったな。」
「……」
「……竜馬のおじさん……・いい人だったのになぁ。」

 近藤や土方、総司もそうだが、永倉や斎藤ら幹部たちも竜馬が死んだものと思い込んだ。
 悲しい気持ちで全員が京都の方を眺めている。
 ボオオオオオオオォォォォォッ!
 出港を告げる汽笛が鳴り響いた。いよいよ大坂とも別れの時だ。

 新撰組は竜馬、山崎という幹部二名を失い、軍艦富士山丸に乗って江戸に到着した。
 江戸に着いて早々、近藤と土方は勝海舟に呼び出された。二人は甲府城乗っ取りを命ぜられた。近藤はこれを承諾。勝は近藤に軍資金5000両と甲府100万石を約束したという。しかし、幕府も滅び、敗色濃厚な中でこれは明らかに空手形である。
 甲陽鎮府隊と名を改めた新撰組だが、要は寄せ集めだ。そして案の定、新撰組は敗れた。
 甲州勝沼において、新撰組は新政府軍を迎え撃ったが、所詮は寄せ集め……いわば烏合の衆。統率は取れず、相次ぐ脱走などもあって、新撰組は散々に打ち負かされてしまった。

 さらに、近藤・土方に追い討ちをかける事態が発生した。
 一番隊組長・沖田総司、労咳により戦線を離脱。千駄ヶ谷の植木職人の家に預けられた。
 二番隊組長・永倉新八、十番隊組長・原田左之助、脱退。靖共隊を組織する。
 監察方・尾形俊太郎、戦線離脱。消息不明。
 監察方・大石鍬次郎、捕縛。後、処刑さる。
 最古参の幹部たちまでもが、新撰組本隊から離れていった。新撰組本隊に残ったのは近藤 勇、土方歳三、斎藤 一、島田 魁ら古参幹部。他に京都からの同志と言えば、野村利三郎、相馬主計、中島 登といった面々であった。

 その頃、江戸に居る大神一彦を一人の公卿が訪ねてきた。
 彼の名は花小路頼恒。禁門の政変以来、長州ひいきであった彼は新撰組や見廻組からマークされる立場にあり、命を狙われたことさえあった。そんな彼の護衛に付いたのが、大神一彦であった。桂小五郎が失踪して以降、大神は桂護衛の任務から外されていた。

「一別以来だな、花小路さん。」
「うむ。……京都では世話になったね。」
「何の。アンタはあまり外出しないから護衛も楽だったよ。ところで、今日は何か用があって来たのか?」
「用という用では無いが……人型蒸気の調子は、どうだね?」
「すこぶるいい……と言いたいところだが、乗り手である俺や音熊にはかなりしんどい代物だ。」
「ふむ……・やはり改良が必要か……」
「無用だろ? 戦はもうじき終わるんだ。」
「戦は終わっても……闇の脅威は終わらぬよ。」

 花小路の言う、闇の脅威とは降魔のことであった。
 四年前、江戸に出現した降魔を竜馬、平助、佐那の三人で打ち破ったことがあった。しかし、決して楽な戦いではなかった。佐那は重傷を負い、山崎の助けが無ければ勝てなかった戦いである。
 花小路は降魔に対する有効な兵器として人型蒸気に注目していたのだ。

「なるほどね……そんなことが江戸であったのか。」
「加えて今は、裏御三家の血を引く藤堂平助もこの世に居らず、真宮寺竜馬は行方不明。もし降魔に出てこられたら、千葉佐那一人では防ぎようが無い。」
「……それで人型蒸気を。」
「戦が終われば、早急に改良せねばなるまい。」

 しかし、この花小路の計画は思うように進まなかった。改良には目玉が飛び出るほどの莫大な金がかかる。財政の苦しい明治政府にそんな余裕は無かったのだ。

 新撰組は流れ流れて、下総の流山に辿り着いた。土方はここで新たに隊士を募集。
 募集にあたって、近藤らは自らの正体を隠した。近藤は旗本・大久保大和。土方は御家人・内藤隼人。斎藤は山口次郎と名乗り、名目は周辺地域の治安維持とした。
しかし、征討軍もそう甘くはなかった。
 板垣退助、大神一彦率いる部隊は流山へ進出。日野を占拠した折に、大久保大和=近藤 勇と知り、近藤の征討軍陣地への出頭を命じていた。

 徹底抗戦あるのみと土方は応戦を命じたが、近藤は何を思ったか、紋付袴に着替えていた。

「……近藤さん。何だ、その恰好は?」
「……トシ、俺はこれから、征討軍の陣地へ行こうと思っている。」
「何ぃ?……・冗談じゃねぇ。アンタ、正気か?」

近藤の顔を見ても、とても冗談を言っている顔ではない。真剣そのものだ。

「よすんだ。出頭すればどうなるか、わかっているはずだ。誰も、大久保大和としてなんか扱わないぞ。」
「わかっている。仇敵・近藤勇として扱うだろう。トシ、俺はな。あの若い隊士たちに、賊軍の汚名を着せたくないのだ。」
「バカな!! 賊と言うのも、官と言うのも一時の事に過ぎん!! それは近藤さん、アンタが言い続けてきたことじゃないか!!」

 土方の言うように、近藤は京都に居た頃から、賊軍も官軍も、一時の事に過ぎない。今は賊軍と言われていても、形勢を逆転し、勝利を手にすれば、官軍になることだってあると、言い続けていた。
 だが、近藤は全て悟ったのだ。これ以上の抵抗を続けていても、それは無益な戦に過ぎない。ならば、賊将の最後の務めは出来る限り血を流さぬように仕向けること以外に無い。

「……トシ……トシは、トシの信じた道を歩み続けていけばいい。だが俺にはもう……一緒に行く気力は無い。」
「連れて行く! 例え引きずってでも、俺はアンタを連れて行く!!」
「……トシ……俺の自由にさせてくれ。」

 それからしばらく土方は近藤を思い止まらせようと説得を続けたが、近藤は聞かなかった。そして、とうとう土方も諦めた。

「……トシさん、行って来るよ。」

 しかし、土方は腕を組んで座り、縁側を向いたまま近藤の顔を見ようとしない。

「……・近藤さん……俺は……・俺は送らないよ。」
「……」

 近藤が部屋を出ると、部屋の前には斎藤 一が立っていた。話を聞いていたのだろう、斎藤は黙ったまま、ただじっと近藤の顔を見ている。
 斎藤にはわかっていた。土方ですら止められなかった近藤を、止められる者など誰もいないことを。

「……・」

 近藤は黙ったまま斎藤の横を通り過ぎた。斎藤は振り向かない。決して、去って行く近藤の後姿を見る事無く、自分の部屋に戻っていった。屋敷の玄関に向かう近藤の目に、庭で鍛錬を続けている若い隊士たちの姿が映った。近藤はその若い隊士たちに、ある男の姿を見ていた。

「(沖田はどうしているだろうか……)……総司……」

 ちょうどその頃、江戸・千駄ヶ谷、植木職人宅で寝ていた総司が突然飛び起きた。

「近藤先生!?」

 総司は刀を持って庭に飛び出したがすぐに倒れてしまった。
 驚いた家の者たちが起こそうとしたが、総司はそれを振り払い、自力で起き上がって出て行こうとする。

「近藤先生!……近藤先生が……近藤先生がボクを呼んでいる!」

 無論、遠く流山にいる近藤の声が聞こえるはずはない。だが、総司にだけは、彼を呼ぶ近藤の声が確かに聞こえていたのだった。

「離せ!……流山に行くんだ!……近藤先生―ッ!!」

 その近藤は既に陣を出て、流山の荒野にあった。向こうには官軍の陣地が見えている。
 同じ頃、大久保大和の陣を出て行く一人の男がいた。「送らない」と言った土方である。ああは言ったものの、近藤と土方は義兄弟。土方は近藤を追って走り続けた。
そしてようやく、荒野の向こうに近藤の姿を見つけた。

「……近藤ォッ!」

 その声も、近藤には聞こえない。どんどん小さくなっていく近藤の後姿に土方は大きく息を吸い込んで叫んだ。

「近藤ォ―――ッ!!」

すると、近藤が振り向いた。確かに聞こえたのだ、自分を呼ぶ土方の声が。

「トシさん……」

 そう呟くと、近藤は再び、官軍の陣地に向かって歩き出した。
 それが土方の見た、近藤の最後の姿であった。慶応四年、新選組局長の近藤 勇は単身、降伏した……・


其の肆へつづく……


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