その上で、確定している経歴は以下のようになります。
太正12年3月 士官学校卒
太正12年4月 少尉。帝撃花組隊長に任命(サクラ1)
太正14年3月 中尉任官。巴里へ渡航(サクラ2 13話)
太正16年4月以降〜太正18年4月までのどこか 大尉任官(サクラDS)
さて、ここからが、推論。
大神は太正12年3月に海軍士官学校首席でを卒業します。史実では12年卒は海兵51期ですが7月卒業です。サクラ世界では違うということなのでしょう。
本来なら、ここから少尉候補生の期間があるのですが、大神は太正12年4月に、少尉として帝撃花組隊長として赴任します。少尉任官をまてない近喫の案件として花組隊長就任があったので、少尉候補生を一週間とかで名目上だけでやりすごして、少尉任官としたのでしたのではないでしょうか。これは大抜擢ですから、大神が気負って帝劇にきたのもわかろうというものです。
少尉j任官後、2年で中尉昇進しますが、これは51期でみると標準的、11年6月卒業・12年9月少尉任官の50期(少尉任官後2年3ヶ月)と比較するとやや早いという程度で、標準的な昇進速度ですね(ただし、同期に比べれ少尉候補生を経ていない分早い。この頃、51期はまだ新米少尉)。
その後、サクラ4終了時の太正16年4(1927)月には中尉のままで、太正18年(1929)のサクラ大戦DSでは大尉として登場するので、この2年の間のどこかで、大尉に昇進したことになります。サクラ大戦4でふれられていないことから、16年4月には昇進していないでしょうから、人事ペースから考えて次の昇進機会は夏以降かな?
となると、中尉任官後、51期でも50期でも2年で大尉昇進してますので、中尉を2年以上やるのはちょっと長いですね。ちなみに50期は少尉任官から大尉まで4年3ヶ月、51期は4年ですから、16年4月ー7月くらいには昇進しておきたいところなんですけどね(笑)
そこで、サクラ3の巴里出張期間を休職扱いだったと仮定して、1年プラスしてやって、3年で大尉昇進、つまり太正17年(1928)に大尉昇進だったと仮定すると、海兵51期の大尉昇進が1928年12月ですから、ほぼペースがあいます。
これで、不自然さを消した上で、改めてクラスヘッド(首席)としてのペースで昇進していく……
というように考察してみました。
ちなみに51期は第二次大戦時に中佐から大佐として、参謀や艦長、分隊長クラスとして海軍の中核を支えた世代ですね。
入校は海軍の軍拡計画(88艦隊計画)に基づいて293名の大所帯でしたが、在学中に軍縮が決定して卒業が厳しくなり、274名で卒業。大神はこの人数での首席だったのですから、いかに優秀かがわかりますね。