−兵器・技術−

光武Fの開発

光武の基本設計はヤマザキくんです。これはかえようのない事実。
で、まず最初にその設計図がジャンくんの元へ送られたと考えるのが妥当でしょう(光武改のデータではない。これは後に記述)。
しかし、ヤマザキくんは日本系の霊力の使い手であった。そのため光武の基本構造は日式になってたはず。
そこが問題なのだ。
ヨーロッパ系戦車と日本戦車の操作性、居住性に創意があるところから考えても、オフランスなジャンくんにしてみれば、人体収納不及び操作性等がダメダメに写った事でしょう。最初に設計図を見た時『なんじゃこりゃぁ。フランス向きの機体構造じゃねーなぁ。しゃーない、これをベースに最初から設計しなおすかぁ』とせこせこと開発を始めたのは想像にかたくない。
しかし、作っていくうちに問題が発生したのです。『光武』の設計図を元に設計していたのが災いしました。
ヒノモトという国の神崎重工からエンジンが届きました。が、それは光武のエンジンではなかったのです。
『ちょっとまて〜〜〜!、バージョンアップ版のスペシャル使用だと〜〜?んなの積んだら機体が持たねーだろがぁぁぁぁ』と憤慨し、部下にやつあたりをしたはずです。
そう、送られてきたのは光武改のエンジンだったのです。
最初から光武改の設計図があり、そのエンジンが送られてくると知っていたら、それ相応の設計をしてたはずです。新型エンジンの大出力に耐えられる機体開発に苦労したという台詞から見ても、妥当だと思います。
しかし、ここで疑問符を打たれる人が出るかもしれません。それは『光武改』よりもさらにバージョンアップしたエンジンじゃないの?という疑問です。
しかし、それはノンとでしょう。
何故なら、桜咲く国からやってきたさくらくん(白夜ちゃんの目には他の2体は目に入らなかったようです(笑))の光武改は『改修された後がみられません』。紅蘭の事です。エンジン内部だけ改修するなんて、そんな中途半端な事をするハズがありません。改修するとしたら大幅に改造したであろう。

さらに云うなれば、先に自分達の光武改にバージョンアップ版を乗せずに供給するなんてのは、まず考えられません。実戦実験に使う目的があったのでは?という意見も出そうだが、これもノン。エンジンは最高機密の一つです。未完成のエンジンを他で試すなんて事は戦略的にも馬鹿と云うしかない。原爆つくったから、そっちで実験してと他国に渡しますか?渡しません。あくまで、自国が最優先。他国はその後です。また桜咲く国のプライドもあるでしょう。不完全な物を他国に見せられるか。と。完成とは実戦実験を得て初めて完成と云えますから。

そういうわけで、光武Fは、光武改の発展系でなく、オリジナル光武から派系した光武改の姉妹機といえるでしょう。
さらに少し付け加えるなら、次世代の光武改2(名称未定)に関してはかなり想像する事ができます。
何故なら、光武F2は『紅蘭が持ってきた追加パーツ』を使ったとしているからである。となれば、光武改に追加装備する事も前提に考えて設計されていると断言できよう。まぁ、弓やら爪やらと光武Fのデータを元にして作られたはずの特注もあるだろうが、基本的なコンセプトはそう変わらないハズだ。
つまり、次世代のさくらくん機には羽が装備される可能性が!!!!すみれ機かもしれないけど(´▽`)
空飛ぶさくらくんに、空飛ぶ大神くん。空中合体技もありえる?(笑)

2001/04/23 夢小路百夜

電車

 サクラ1の初詣のシーンで、さくらが「電車」と言うシーンがある。
 しかし、蒸気機関を主用機関とするサクラ世界に「電動モーター」はないはずで「電車」は存在しない筈だ。
 そこで考えられるのが、「電車」が「電気列車」の意味ではないということだ。
 実は、この「電車」とは「電(いかずち)式蒸気列車」の略なのである。
 この「電式蒸気列車」とは、明冶中期から太正初期にかけて活躍した技術者、河田電衛門(後、神崎重工に属す)の名前からとられており、彼は初期の代表的な路面蒸気列車の設計をしたことで知られていましたのだ。太正末期には、既に彼の開発した車両ではなくなっていたが、路面蒸気列車は慣習的に「電車」と呼ばれ続けていたのである。

2001/05/28 米田鷹雄

飛行機の自作

 紅蘭は飛行機の自作に成功したが、果たして、そんなことが可能なのか。
 結論からいえば、可能である。
 当初、一部の人間による手作り品だった飛行機が工業製品となるのは第一次世界大戦のことだ。しかし、第二次大戦以降まで設計は一人の天才によることが多くあった(零戦の掘越二郎、ドイツのメッサーシュミット博士、タンク博士など)。であるから、紅蘭が一人で設計したとしても全く問題はない。
 実際の製作においても、大正時代の民間(といっても、太正11年に定期郵便航空路がようやくできたという段階)の機体はほとんどが手作り状態。白戸栄之助の白戸飛行機練習所と伊藤音次郎の伊藤飛行機練習所が二大民間航空製作所という状態だった。
 これらを勘案すると、帝撃の工作機械を使えたであろう紅蘭がほとんど一人で航空機を製作することは十分、可能なのだ。
 ただし、大正中期頃から余剰軍用機の払い下げにより、民間専用機は急速にすたれていくことになる。

2001/05/28 米田鷹雄

ミカサの由来

 空中戦艦につけられた「ミカサ」という艦名の由来は、日露戦争時の聯合艦隊旗艦・戦艦「三笠」からきているのだろう。
 三笠は、日露戦争において最終的に日本の勝利を決定づけた戦いである日本海海戦(明治38年5月27−28日)で、聯合艦隊司令長官・東郷平八郎大将の旗艦をして活躍した戦艦。
 世界海戦史上に残るパーフェクト・ゲームであったこの海戦により「トーゴー」と「ミカサ」の名は、世界の海軍軍人にとって、(ナポレオンのイギリス上陸を阻んだトラファルガー海戦で活躍した)ネルソン提督とその旗艦ヴィクトリー号とともに、最も有名で尊敬すべき対象となったのである。
 この光輝ある名前を、日本の最終兵器というべき、「空中戦艦」に名付けたのは、当然ともいえるだろう。
 余談ですが、戦艦「三笠」は、横須賀に今でも記念館として保存されている。

2001/05/28 米田鷹雄

ミカサの指揮

 空中「戦艦」ミカサであるなのに、陸軍の米田が指揮をとっているのはなぜかという疑問がある。
 おそらく“空中戦艦”というのは俗称であり、書類管理上は「航空機」扱いなのではないか。航空機なら陸軍にも陸軍航空隊があり、陸軍将校である米田が指揮をとってもおかしくないのである。

2001/05/28 米田鷹雄

リボルバーカノン

 巴里華撃團は欧州霊的防衛構想の中核部隊として創設された。
 この部隊を欧州各所にとどけるために凱旋門を改造して据え付けられたのがリボルバーカノンである。これは巨大なリボルバーであり、ブレッドの中に光武を詰めて撃ちだすというものだ。欧州主要各都市は射程内にカバーしていると描写されている。
 具体的に作品中のスクリーン表示からするとその射程はワルシャワ〜ブタペスト〜ローマ〜マドリード〜ロンドンあたりをカバーしていると思われる。しかも、ピンポイントに近い着弾制御ができるという。
 しかし、ここで考えるべきは、そのブレットを通常弾頭=火薬をつめたものに変えた場合、どうなるかだ。光武のサイズから考えれば、ブレットは4m程度の口径があるはずだ。つまり400cm砲! これがピンポイントで欧州各地を攻撃できるとすれば、各国にとっておそるべき兵器である。
 これは第一大戦の戦勝国が敗戦国、主としてドイツに圧力をかけ続けるために“霊的防衛”を建前に整備した戦略兵器ととらえるべきだろう。
 もっとも、それをちらつかせて、グラン・マが政府から予算を獲得した可能性もあるが。

2001/09/30 米田鷹雄

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