翌朝。
アイリスのことが気になる大神はいつもより早く目が覚めた。手早く仕度をすまし、扉を開ける。と、扉のすぐ外に人影がある。
「おはようございます」
「さくらくん!」
すっかりと朝の仕度を終えているさくらが、大神にぺこりと頭を下げた。
「どうしたんだい。こんな早くに」
「いえ。別に何にもないんですけど……あっ、そうだ。大神さんのおかげでぐっすり休めたんで、お礼を言おうと思って」
あからさまに後づけの理由だ。
大神に会いたくて待ち伏せしていたのは明白である。
「いいんだよ、そんなこと」
気付けよ、大神。
「あっ。ちょうどいい。ちょっとつきあってくれないか」
「はい!」
一も二もなくさくらが頷く。
「それで、どこにいくんですか?」
「アイリスの様子を見に行くんだ」
一転、さくらの顔が険しくなる。いわゆるジト目状態だ。大神も女性の心の機微を知るにはまだまだのようである。
ともあれ、アイリスの部屋をノックする。
「アイリス。起きてるかい?」
返事がない。
「アイリス?」
「……おきてる」
小さな声だ。
「入っていいかい?」
「……うん」
扉を開けて部屋に入ると、アイリスは床にへたり込んでいた。
「アイリス!?」
慌ててさくらが駆け寄るが、アイリスの反応は鈍い。
「あ、さくらぁ……」
いつも忙しいばかりに喜怒哀楽をはっきりとさせるアイリスが、呆然というにふさわしい表情をしている。
「ね、お兄ちゃん。アイリスの力、寝ても戻らなかったよ……」
大神は何も返答できない。
ともかく、これは自分の手に負えるのではなくなったことだけは確かだ。
「さくらくん。アイリスを頼む!」
「はい!」
「……というわけなんです」
支配人室に直行した大神は米田に一部始終を報告した。
「そいつぁ、困りもんだな」
米田も頭を抱える。
「おめーも知っての通り、霊力ってやつぁ、本人の精神や肉体の状態に大きく左右されるってわけだ。で、今回のアイリスの場合、両親に会えねぇってことが原因だろうな」
「私もそう思います。帝國華撃團を辞めたいという思いが、霊力の発揮を妨げているのではないかと推察しております」
「なるほど。霊力がなければ、帝撃にいる理由もなくなるってぇわけだな」
「はい。そうではないかと」
「やれやれ。アイリスも成長したもんだな」
「何を呑気なことを!」
事が重大なだけに、茶化すような米田の発言に大神が反発する。
「おいおい。そうカリカリするんじゃねーよ。俺が言ってるのはな、暴走させるだけだった霊力を封じ込められるようになっただけ、アイリスも進歩してるってことだよ」
「それはそうでしょうが……」
大神は今一つ不満顔だ。
「いいか、大神。霊力ってやつは、人間の持っている普通の能力だ。ただ、それが強いか弱いかっていうだけの差にすぎん。巷で霊感や第六感と呼ばれてるやつだって正体は霊力なんだ。だから、その時々の具合によって、強弱はあれども、急に能力が消滅しちまうってぇことはねぇ」
「それではやはり!」
「そうだ。アイリスの霊力を抑えつけている『枷』をはずしてやればもとに戻る」
「わかりました。それは私のやるべき事ですね」
大神は敬礼を決めると、支配人室を出ていった。
米田はその後ろ姿を頼もしく見守った。
「大神もよくわかってきたじゃねーか」
大神は机の上の写真に目を移した。
「あやめくん……大神は立派に成長しているよ。わしの最後の教え子としてな」
「あ、大神さん!」
「どうだい、さくらくん。アイリスの様子は」
アイリスはサロンに移動していた。そして、その周りにはさくらだけでなく、他の花組隊員達も集まっている。
「笑うようにはなってきたんですけど……」
見れば紅蘭がなにやら芸を披露している。さすがは中国四千年。アイリスもそれを見て笑顔を見せていた。
「あ、中尉!」
大神に気付いたすみれが駆け寄って切った。
「ちょっとさくらさん。あんまり中尉に近寄らないでもらえないかしら?」
「なんでですか!」
いきなりの戦闘モードだ。
「あなたみたいのが側にいたら、中尉に馬鹿がうつりますわ」
「なんですって!」
さくらがいきりたつ。
「それよりも、この気品漂うわたくしのような存在こそ中尉にふさわしいのですよ」
そういってすみれは大神の右腕を掴みピタリと寄り添った。
「わたくしと中尉の間には熱い愛情がありますのよ!」
「あ、あのね、すみれくん?」
「あら、中尉。昨晩のこと、忘れたとはいわせませんわよ」
小声で告げられた言葉は、大神の背筋に冷たいものを感じさせるに十分だった。
「わ、私だって!」
「愛」というのを言葉に出していえないところがさくららしいが、行動は大胆だ。大神の左腕をとり、身体を寄せた。
「あのね、さくらくん……」
「大神さん。私、信じてますから」
何を?、と反問すると殺されそうな気がするので、黙っておく。
「さくらさん。離れなさいな。中尉が迷惑してますわよ」
「すみれさんこそ!」
大神を挟んでにらみ合う二人。
しばらく火花を飛ばしていたが、やおら顔をあげ、大神に詰め寄った。
「大神さん!」「中尉!」「どちらを選ぶんですか!」「ですの!」
大神一郎、絶対絶命!
だが、その時、天からの助けが訪れた。
「二人とも、いいかげんにしなさい!」
マリアだ。
「今はそんなことをしてる場合ではないでしょう!」
この一喝で、さくらはバツが悪そうに、すみれは憮然として、ようやく大神から離れた。
「助かったよ、マリア」
大神はマリアの耳元でそう囁く。
「いえ。当然のことです」
言葉とは裏腹に、マリアの声は棘がある。
(マリアに呆れられちゃったかな)
違うぞ、大神。妬いてるだけだ。
「それで、アイリスの様子は?」
「見ての通りです。ようやく落ち着きはしましたが」
「霊力はまだってことか」
「そうです」
大神はアイリスへと近寄った。
「やあ、アイリス」
「お兄ちゃん! あのね、紅蘭の芸って、とっても面白いんだよ!」
「へぇ。紅蘭、何を見せてくれるんだい?」
「なんや。大神はんも観客かいな。ほしたら気合いれて、とっときの大奇術をやるさかい、よー見ときや!」
紅蘭が怪しげな箱を用意してくる。
「そやな……カンナはん。ちょっときてくれへんか?」
「おう。いいぜ」
カンナを箱に入れると、大きな鋸を取り出した。
「さあさ。人体大切断や!」
「お、おい、紅蘭。大丈夫なんだろうな!」
「まかしとき! うちはたまにしか失敗せーへんから」
「な、なんだと。おい、こら、ちょっとまて!」
掛け合いも絶妙に――ただし、カンナは真剣だが――奇術は進んでいく。
アイリスはそれを見ながら笑ってはいるが、どうも心から楽しんでいるようには見えない。
やはり、あまり解決にはなってないようだ。
「ほら、切っても元どおりやで!」
「わーすごいすごい!」
アイリスが拍手する。つられて、他の皆も手を叩く。
「何や。大神はんは拍手なしかいな」
「え、いや。ごめん」
アイリスをどうすればいいかばかり考えていた大神は実は紅蘭の奇術をよく見ていなかった。慌てて拍手をする。
「なーんかおざなりやな。ま、ええか」
紅蘭の冷たい視線が大神に突き刺さる。
だが、それをフォローする間もなく、警報音が響き渡った。
『帝國華撃團花組は地下作戦室へ集合して下さい』
「いくぞ、みんな!」
「了解!」
一斉に駆け出すが、アイリスだけは動こうとしない。
「アイリス。とにかく地下まではいこう」
「……うん」
渋るアイリスをシューターに潜りこませて、大神は地下作戦室へと急ぐ。
「帝國華撃團・花組。全員集合しました」
「うむ」
米田は早速、命令を伝える。
「日枝神社に黄泉兵があらわれた。花組はこれを迎撃、殲滅せよ!」
号令一下、花組は神武に乗り込む。大神機を先頭に移動を開始するが、黄色の機体だけは動きを見せない。
「アイリス!」
アイリス機だ。やはり、霊力が発揮できないのだろう。
「隊長。どうしますか?」
マリアから通信が入る。
「マリア。先にみんなを連れていってくれ。俺は後からアイリスと一緒にいく!」
「わかりました」
マリアはあっさりと了承した。
時間がないという事情もさることながら、隊長としての大神の判断を全面的に信頼しているということだろう。
マリアはアイリス以外の花組の隊員を率いて現場へと向かった。
大神は一旦、機体を戻し、神武を降りた。
「アイリス! 大丈夫か?」
何が大丈夫なんだかよくわからないが、とにかく、アイリス機のハッチを開ける。
「アイリス……」
アイリスは神武の中に座っていた。そして、それだけである。アイリス機独自の非接触型操縦はアイリスの高い霊力を前提としているのだ。霊力が発揮できなくなった今、神武を機動することすら不可能となっている。
「アイリス……パパとママに会いたいのか?」
大神と視線を合わさぬまま、アイリスはこくんと頷いた。
「そのためなら、帝國華撃團をやめても、か?」
「だって!」
アイリスは顔を上げる。
「アイリス、花組にいるから、パパとママと離れて暮らさなきゃならないんだもん! 『力』さえなくなれば、アイリスはふつーの女の子になるの! そしたら、一緒にフランスで暮らせるんだもん!」
「帝國華撃團、参上!」
マリアに率いられた五体の神武が姿をあらわす。
「これは!」
マリアは周囲の状況を確認し、戦慄を覚えた。
黄泉兵の数が多い。そして何より、今までと違うのは……
「ふははは。ご苦労だな、帝國華撃團!」
『風の不知火』が高らかに笑う。
「貴様が今回の作戦を立てたのか!」
「いかにも」
不知火は静かに肯定する。
「もっとも、大した作戦ではなかったろう?」
嫌味たらしくそう言うと、不知火はゆっくりと神武を見回した。
「おや。今日は二人ほどお休みかね。余裕があるところは違いますね」
この時、不知火は己の策が的中したと確信した。
「くっ……いくわよ! みんな!」
「了解!」
不知火の言葉を無視するように、マリアは戦闘を開始させた。
だが、本腰をいれた黄泉兵をなかなか撃ち破ることができない。
「カンナは中央! サクラとすみれで左右を固めて! 紅蘭と私は現在位置を保って支援! 隊長達がくるまで耐えきるのよ!」
「了解!」
「………」
帝劇地下格納庫ではアイリスと大神が無言のまま過ごしていた。どちらとも会話を切り出しにくかったのである。
それでも隊長としての立場が大神に、その長い沈黙を破らせた。
「……アイリス」
「……なに、お兄ちゃん」
アイリスはぶっきらぼうに答える。
「アイリスは、霊力が嫌いか?」
「だって!」
アイリスは声を上げて主張する。
「こんな『力』があったから、アイリスはパパやママと別れて暮らさなきゃならなかった! 『力』があったから、毎日毎日、戦わなきゃいけない! 『力』さえなかったら、アイリス、こんなことしなくていーんだもん!」
悲痛な叫びだ。
帝都を守るために戦う。それは帝都の未来を守るためである。それはすなわち、今の子供達、あるいはこれから生まれてくる子供達の未来を得ることだ。
であるならば、アイリスは護られるべき存在だ。だのに、彼女は戦っている。
戦いというものが常に矛盾に満ちているというならば、その大いなる矛盾の一つがここにあるのだ。
「わかったよ、アイリス。どうしてもというならば、しょうがない」
「え!?」
「帝國華撃團をやめてもいいよ」
「ほんとに!?」
「でも、最後に一つだけ教えてくれ。霊力をもっていたことはそんなに嫌なことだったかい?」
「だって!」
アイリスは先程と似たような台詞を繰り返した。
「うん。それは本当のことだね。でも、俺は自分が霊力をもっていてよかったと思うよ。だって、そのおかげで帝國華撃團に入隊できて、アイリスやみんなに会えたんだからね」
「あっ……」
アイリスが驚いたような表情をする。
それを全く考えていなかったのだ。
「アイリス。今までありがとう。御両親のところにお行き」
「……お兄ちゃんは?」
「決まってるさ。みんなを助けないとね」
大神は、自分の神武に戻り、移動を開始した。
「お兄ちゃん……」
「四方攻相君!」
カンナがまた一体を撃破した。押しているのは帝撃なのだが、その勢いは減じられてきている。このままいけば、やがて逆転されるのは目に見えている。やはり、蓄積された疲労から長引けば長引くほど花組の戦闘力がおちていく。
まして、総計七人しかいない花組。二人が欠けているとなれば三割近く戦力を減じている計算になる。
「どうしたのかね帝國華撃團!」
不知火が不遜に笑う。
だが、戦場にあらわれる白い影。
「大神一郎、参上!」
大神機が姿をあらわす。
「隊長! 待ちかねましたよ!」
思わずマリアが安堵の台詞をはく。
「すまない。マリア」
「それで、アイリスは?」
「それは……」
大神が結果を告げようとした刹那、黄色の爆煙があがった。
「イリス・シャトーブリアン、さんじょー!」
「アイリス!」
驚く大神に、アイリスは応える。
「アイリス、パパとママと別れて暮らすのはいやだし戦うのも嫌いだけど、お兄ちゃん達に会えたのはよかった。だから、『力』を持ってるのもいいことがある、と思ったら『力』が戻ったんだよ!」
アイリスの霊力を封じていた「枷」がとれたのだ。
「よし、ともかくいくぞ!」
大神が戻ったことにより士気が高まった花組は一時的に攻撃力が回復した。
「さくら、いきます!」
「華麗にきめるわよ!」
「どきゃあがれ!」
「これでどや!」
「私の邪魔をするなっ!」
「次だ!」
「アイリス、すごいんだよぉ!」
勢いは再び帝撃のものとなる。
「ぬぅ!」
不知火は唸った。
自分の計算では、どんな人間といえどもすでに限界を超えている筈だった。実際、相手が不完全な編成で登場したときは策為れりと確信した。
「人間というものを甘く見ていたようだ」
不知火は自らの魔霊甲胄「白穢」に乗り込む。
黄泉兵をそのまま戦わせて盾としながら、自らは撤退しようというのだ。
「負ける戦いをするような間抜けではないからな」
離脱機動をする不知火の「白穢」。どの神武もまだ「白穢」を攻撃圏内に収めていない。余裕で撤退できる。その筈だった。
「アイリスを忘れちゃ駄目なんだから!」
「なに!?」
不知火の眼前に、突如、黄色の神武が立ち塞がった。
「イリス・アルカンシェール!」
攻撃力は低いが、完全に不知火の意表をつく。「白穢」はたまらず後退する。
「よし、いいぞ、アイリス!」
「まかせて、お兄ちゃん!」
この攻撃で稼いだ時間は貴重だった。
「そこっ!」
「いっくでぇ!」
マリアと紅蘭の攻撃の射程圏内に「白穢」が捉えられた。
「ぬぉぉぉぉ!」
「白穢」は身構えて防御する。その間に、今度は大神やさくら、カンナが間合いをつめた。なお、すみれは後方で殿をつとめ、残黄泉兵の掃討にあたっている。
「もはや、撤退は不可能か。ならば!」
不知火は一転、攻撃姿勢をとる。
「斬空烈風刃!!」
「なにぃ??」
何も攻撃があたっているように見えないのに、神武が傷ついていく。
「くそ。見えない刃か!」
「どうだね。よけることができまい!」
花組の攻撃も効いているだが、要所で襲いくる「見えない刃」にペースを乱され、また、回復のために後方へ下がることをも余儀なくされ、なかなか致命傷を与えるにいたらない。
(まずいぞ)
このまま時間を稼がれては士気の高揚で隠れている疲労がいつぶり返さないとも限らない。
「狼虎滅却……」
「させるわけないだろう! 『斬空烈風刃』!!」
必殺技の姿勢に入った大神をめざとく見つけた不知火はすかさず「見えない刃」をぶつけてくる。それをまともにくらった大神は体勢を崩し、必殺技を放つことができない。
「くそ!」
改めて構えなおす大神だが、改めて精神を練り上げなければ、必殺技を放てそうにない。それに、必殺技を放とうとしても、また同じことになってしまう。
(どうする?)
そんな大神の横にアイリス機がテレポートしてきた。
「お兄ちゃん。アイリスにまかせて!」
「どうするんだ?」
「いいから、お兄ちゃんは必殺技をうつの!」
論議している暇はない。先程の不知火の逃走を防いだアイリスだ。今日は彼女にかけるのも悪くないだろう。
「よし、頼むぞ!」
「うん! お兄ちゃんのために頑張る!」
大神が練り上げた気を込め、必殺技の姿勢に入る。
「同じことだぞ! 『斬空烈風刃』!!」
だが、同じではなかった。
「えい!」
アイリスの掛け声とともにアイリス機と大神機が消失したのだ。
「なに!?」
見えない刃といえども、いない敵にあてる事はできない。不知火の攻撃は文字どおり空をきった。
「こっちだ!」
背後からの声に振り返ろうとする不知火だが、大神はその暇を与えない。
「狼虎滅却・無双天威!」
大神の二刀が「白穢」を切り裂いた。
「ぬぉぉぉ。この私が敗れるなどということが、あるわけが!」
最後まで不遜な台詞をはきながら、不知火の肉体は閃光とともに四散した。
「それじゃあ、いくよ!」
今回はアイリスが音頭をとる。それだけの戦功は、今日の彼女はたてている。
「勝利のポーズ、決めっ!」
「急げ、アイリス!」
帝劇に帰るなり、大神はアイリスを宙に舞わさんばかりの勢いで引っ張る。
「もう間に合わないよ!」
「あきらめるなアイリス! 俺達はいつだって、何にだって諦めなかったじゃないか!」
とはいうものの、蒸気鉄道でも蒸気自動車でも時間的にしんどい。大神も、内心、それはわかっていたが、アイリスをこのままにするつもりは毛頭なかった。そして、そんな大神の内心を花組の隊員達は容易に察することができる。
「大神はん! これを使い!」
紅蘭が何かを大神に投げてよこした。大神は反射的にそれをうけとる。
「これは?」
「うちの開発した新型蒸気二輪車の鍵や! 今度は霊力併用型にしとるさかい、ごっつぅ馬力がでるでぇ!」
「ありがとう、紅蘭!」
礼を言うのももそこそこに、大神は屋外倉庫へ駆け込み、紅蘭のバイクに跨った。
「しっかり捕まってろ、アイリス!」
「うん!」
けたたましい音をたててバイクが走り出す。
「うわっ!」
凄まじい加速だ。大神も瞬間、バランスをくずしかけるが、なんとかもちなおした。大型の蒸気機関に加え、それを挟み込むような形で霊子機関が左右に張り出しているため、なんとも運転しにくい。
(だが、これなら!)
速度は速い。おまけにバイクだから車のいけないような路地にもいける。
「よし、速度をあげるぞ!」
変速機を五速から六速、七速(!)にまであげながら、大神は一路、横浜を目指した。
横浜港。
当時、日本最大の民間港であるここから、一席の船が出港しようとしていた。
それこそシャトーブリアン家が所有する豪華客船、イリス号に他ならない。
そして、その甲板では、ショトーブリアン夫妻がにこやかに見送りの人々に手をふっていた。
「あなた」
「なんだね?」
ジョセフィーヌが前をむいたまま話しかける。
「結局、アイリスとはゆっくりと話できませんでしたね」
「ああ。だが、仕方あるまい。アイリスが立派に育っていることを確認できただけどもいいじゃないか」
「ええ……」
二人の声は、ともに沈んでいる。
それでも、それを悟らせないように手をふる夫妻。と、不意に遠くから迫り来る土煙が、その目にうつった。
「なにかしら?」
「さて?」
夫妻に首を傾げられてしまったその物体こそ、バイクに跨った大神とアイリスである。
「誰可!」
シャトーブリアン夫妻はVIPとあって、埠頭の入り口には警備の警官がいる。
「帝國海軍中尉、大神一郎! 軍機の任務である! 邪魔をするものは軍法会議だ!」
自分の身分証明書を片手で掲げながら、大神はスピードを緩めない。警官も、よく見えないながら本物らしい証明書と、大神のはったりの剣幕に、思わず道をあけた。
「ご苦労である!」
通りすがりに敬礼をしながら、大神は強引に人の波をバイクで泳ぐ。
そうなると、さすがに今までほどの速度は出せない。
(もう少しだというのに!)
その時、汽笛がなった。
「くそ!」
海軍士官である大神にはそれが出港の合図の汽笛であることがわかる。
見れば、アイリス号はタグボートに引かれてはじめている。そして、それは見る間に岸壁を離れていく。
「待ってくれ!」
だが、大神の言葉は届かない。いや、仮に届いたとしても、一旦、出港を始めた船をおいそれと停止させるわけにはいかないのだ。
まして、船の舷側は高い。船の近くまでいけたとしても乗り込む方法を考えなくてはならない。人目があるから、アイリスの瞬間移動も使えない。
(どうする!?)
思案する大神の目に、埠頭の端にある車止が目に入った。
「よし! アイリス。しっかり捕まってろ!」
「うん!」
アイリスの小さな手が大神の身体をギュッと握りししめる。
「いくぞ!」
人ごみが切れると同時に大神は一気にスロットルをあけた。その進路はまっすぐと船に――すなわち、海へと向かっている。
みるみるまに埠頭の端が近づき、海が迫る。
「うぉぉぉぉぉ!」
海に落ちる、と思われた刹那。大神が軽く持ち上げたバイクの前輪は車止めに弾かれた。そして、続いて後輪も弾かれ、バイクは宙に舞った。
大神が発揮した必殺技にも匹敵するほどので霊力で限界以上の速度を与えられたバイクは驚異的な飛距離を出している。
「アイリス!」
シャトーブリアン夫妻も、アイリスに気付いて手を伸ばす。
だが、舷側に達するために高く飛び上がったためか、飛距離が足りない。バイクは放物線の頂点を越えようとしている。
「アイリス! 跳べ!」
「え!?」
様々な「超能力」を持つアイリスだが、飛行能力はないし、念動力も自分の身体を持ち上げることはできない。躊躇するのは当たり前である。
だが、アイリスはすぐに決心した。
「わかった、お兄ちゃん!」
大神の心が痛いほど伝わってくる。
この「想い」には応えなければいけない。
アイリスはそう感じたのだ。
「えい!」
落下しつつある大神の背中を踏み台にして跳ぶ。
アイリスの身体は、まるで羽がはえているかのように宙を滑り、ジョセフィーヌの胸へと飛び込んでいく。
「パパ、ママ!」
「アイリス!」
ジョセフィーヌはアイリスを抱きしめ、アクレクサンドルは、その二人を一緒に強く抱きしめた。
「はーっくしょん!」
「大丈夫ですが、大神さん?」
蒸気鉄道でようやく横浜港に到着した他の花組メンバーが、海に落下してずぶぬれになった大神を介抱している。
「あ、ああ。大丈夫だよ」
大神はさくらが差し出したタオルで頭と顔を拭いている。
「濡れた服が張り付いて気持ち悪いよ」
そして、やおら上半身の服を脱ぎ出した。
「やっ! ちょっ、ちょっと大神さん! 場所をわきまえて下さい!」
上半身裸となった大神を見て、さくらが顔を真っ赤にする。
もっとも、よく見ればマリアやすみれも頬を赤くしているに気付けただろう。
「な、なんだい、さくらくん。別に全裸になったわけではないんだからさ」
「当たり前です!」
たちまちご機嫌斜めなとなるさくら。大神も全く女心をわかっていない。
「ところで、隊長」
マリアが切り出す。
「アイリスは……戻ってくるのでしょうか?」
「うーん。なんといって生みの親のいる場所だからな。それまでの言動を考えていると、難しいんじゃないか」
「そうですね。でも、しょうがありませんね」
「ああ。あとは残った俺達で……」
と、突然、大神の頭上から何か降ってきた。
大神は反射的にそれをうけとめる。
「アイリス!」
異口同音の叫びがあがる。
「えへへへ。お兄ちゃん、ただいま!」
大神の胸に収まったアイリスは、彼の首に手を回して抱きついている。
「アイリス、どうして帰ってきたんだ?」
「え。れんぞく『てれぽーと』でだよ」
あまり長距離の瞬間移動はできないアイリスだが、海に落下する前、宙にある間にテレポートを繰り返すという方法で戻ってきたのだ。
だが、大神の聞きたかったことはそんなことではない。
「いや、そうじゃなくてだな。どういう訳で戻ってきたんだ?」
「だって、アイリスのおうちは、帝劇だもん! おうちに帰るのは当たり前だよ!」
大神達が思う以上にアイリスは帝國華撃團を愛しているのだ。今回のアイリスの騒動も、アイリスが帝撃を真剣に愛しているがゆえといえるだろう。
「それにアイリスの大好きなお兄ちゃんもいるんだもん!」
相変わらずのストレートな感情表現である。アイリスはさらに強く大神を抱きしめてきた。
ほほえましい光景である……もっとも、五年後には血の雨をみかねないだろうが。
「あー、おとりこみ中の申し訳おまへんが、大神はん」
それでもなんとなく面白くないのであろう。紅蘭が話し掛けてきた。
「うちのバイク、おしゃかにしてくれましたな?」
大神と共に海におちた蒸気バイクはもちろん、そのまま沈んでいる。
「それはその……すまない」
「甘いで大神はん。謝って済むなら帝撃はいらへんで」
紅蘭の眼鏡が妖しく光る。
「弁償しろとはいいまへん。代わりにうちの発明品の試運転につきおうてもらいますさかい、よろしく頼むで!」
それはすなわち、実験台になれということだ。
「まさか、いやとはいいまへんよな?」
「……はい」
大神は泣く泣く頷くのであった。