第八話「鋼鉄」(その1)

 アイアン・ローリング・サウンド(鋼鉄の咆哮)。
 戦争に浪漫を求めるものから「戦史上の奇跡」と呼ばれ、リアリストからは「戦史上の珍事」と揶揄されるのが、この数カ月の太平洋戦線である。
 しかし、当事者たちにしてみれば、互いの死力をふりしぼった結果が、たまたまそうなったというだけでしかない。

「やつらに空母はない」
「やつらに“も”ない、というのが正しいだろう」

 最初の発言は南太平洋方面司令官ウィリアム・ハルゼー海軍中将。それをうけたのは、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ海軍大将である。
 米軍は、全力をあげて日本海軍の空母の動向を探っていた。その結論を出したのだ。
 決定打になったのは、日本軍が上陸戦闘中のカロリン群島に艦上機を投入していないことだった。この方面では米軍の抵抗で、日本軍は未だに使用可能な飛行場を手に入れていない。他の日本軍基地からも遠いため、本格的航空兵力の投入には空母を用いるしかないのである。
 もちろん、日本の上陸部隊が優勢であれば、温存ということも考えられるが、彼らは前述したように、優先目標であろう飛行場も手に入れられないでいる。
 その状況にもかかわらず、艦砲射撃と水上機でしか地上支援がないのだ。

「それで、同じ状況だからどうするんです?」
「私が何もしないために君のところにきたかと思うのか?」

 質問を質問で返されたハルゼーは、吸っていた葉巻を大きくふかすと天を仰いで見せた。

「おお、ジーザス。時計の針を一〇年戻せとの仰せですか」

 悲嘆しているわけではない。茶化しているのだ。
 この状況下でも、本来の戦略的優位は米軍にある。損害が同じなら、生産力に勝る米軍が有利。戦力が同じであれば、そこからは、生産力に勝る米が、どんどんと戦力差をつけていける。特に今年春以降にはエセックス級空母の量産が軌道にのり、年末までに六隻が竣工する予定である。焦る必要はまったくない。
 が、民主主義国家において軍事は政治に隷属する。
 合衆国軍最高司令官たるルーズベルト大統領は、これ以上の戦線の後退を望んでいなかった。カロリン群島の失陥はフィリピンの陥落を意味する。それが大義名分に乏しい今回の戦争に対する国民の継戦意欲をなえさせることをルーズベルトは怖れていた。
 ニミッツは、彼の意思を変えささせることはできなかった。本来なら同じく軍事的観点から大統領に助言するべき陸軍も、参謀総長ダグラス・マッカーサー陸軍大将がフィリピンの軍事顧問であったというプライドもかかっていたとあって大統領を支持しており、いかんともできなかったのである。
 米海軍は、よりよい軍事戦略があるとわかっていながら、政治から、最高司令官から示された命令を遂行するより他なかった。

「作戦案は、こうなるしかないですな」

 それは、戦艦を中心とした水上打撃艦隊による昼間突入作戦であった。
 今次大戦以前には、王道として考えられていた作戦は、しかし、ハルゼー自身が時代遅れのものとした。この太平洋戦線の開幕を飾ったのは、彼が率いる高速空母任務部隊による水上打撃部隊の壊滅だったのだから。
 だが、今なら……

「あのコーンパイプは気に入らねぇが、こういうのは好きだぜ」

「こうるさくやってくる」

 加山は、渋い表情で大神に報告をとりついだ。
 それは、米軍の中規模の水上艦隊(巡洋艦を中心とした一〇隻程度)が日本の哨戒圏の内側まで入ってきているというものだった。
「だんだんと内側に入ってきてるな」
 飛行場も空母もなくても、水上機ならある。
 日本海軍は水上機母艦、次いで制圧した地域の入江などを利用して、このカロリン方面に水上機を展開した。
 フロートという、空にあがってしまえば単なるデッドウェイトでしかないものを装備せざるをえないため、その能力は通常の機体に比べれば低い。
 ちょっとした空戦や爆撃は可能ではあるが、大神は、その任務に水上機を投入しなかった。すべてを哨戒に割り振り、米海軍の動向を把握することに務めたのだ。
 それは、空母がないという現状に対する“恐怖心”でもある。米軍に進行に対して万能となる対策を失っているのだから、できるだけ早期に、正確にとらまえて、臨機応変な対応するしか手がないからだ。

「そろそろバレたということさ」

 大神も優れない表情のままいう。
 当初、米軍の水上艦隊は哨戒機に蝕接されるやいな、きびすを返して逃亡していた。
 しかし、今はどうだ。
 哨戒機に発見されても、慌てることなく、さらに内側に切り込んでくるではないか。
 これば、こちらの空母が稼働状態になく、航空攻撃ができないと見切られているのだと、大神は考えた。

「やれやれ。やっぱりコイツが出番となるしかないってことだな」

 加山は鋼鉄の壁を叩いて見せた。
 大神と加山が座乗しているのは、帝國最強戦艦『大和』であった。

「それに、頼もしいパートナーがいるからな」

 加山が言うのは、大和の同型艦『武蔵』のことである。照和一八年八月に竣工した最新鋭戦艦は、先の第一次南洋群島海戦で右舷副砲塔が破壊されている。この損害は中破として判定されたのだが、空母を失った今、貴重な戦力として突貫工事で戦線復帰を果たしてる。それが、どのくらい突貫であったかは、破壊された右舷一五.五糎三連装副砲塔を復旧せず、装甲板で蓋をしただけになっていることにもあらわれている。
 とはいえ、これは設計時の想定とは異なり、航空戦が主体となった今次大戦では副砲が活躍ができる可能性は少ないから、さして問題になるとは思えなかった。
 実際、第三次フィリピン沖海戦で損傷した『大和』も、修理の際に両舷の副砲塔を撤去し、そのスペースに高角砲や機銃を増設して対空火力を増強している。
 そうであるならば、この時、大神は旗艦として『武蔵』に座乗するという選択肢もあった。応急修理部分はあるとはいえ、艦齢としては武蔵が最新鋭であり、一部機器は武蔵のほうが新しい。
 だが、大神は『大和』を選択している。加山によれば「武勲があるほうがいい」と、その理由を語ったという。

 余談ではあるが、この大神の選択は、戦後、ちょっとした議論の対象になった。
 曰く「運のある大和に大神がのっていた」のか「運のある大神が大和に座乗した」のかということだ。これは、同型艦でありながら、大和と武蔵があまりに対象的な運命をたどったことから、それが「なぜか」を問うと出てくるものだ。
 これに正解を得ることはできない。この海戦で大神が武蔵に座乗していたらという”もしも”を、現実に再現することは不可能だからだ。
 ただ、筆者は、日本の古き名である大和という軍艦(いくさぶね)に、大いなる神という名をもつ軍人(いくさびと)という組み合わせ
だからこそと思わずにはおれない。いささか非科学的ではあるが、なにか言霊の力すら感じる次第だ。
 話がすぎた。時を戻そう。

「大神長官。新たな敵が発見されました!」

 大神が索敵の強化を命じようとしていた時、その報告がもたらされた。

「戦艦五を含む約二〇の艦隊!」

 一瞬、司令部にどよめきがおきた。
 これは強力な水上打撃艦隊である。フィリピン戦で夜闇に乗じて艦砲射撃にきたのとは訳が違う。

「さっきの艦隊はこの“主力艦隊”の前衛だな」

 加山の言葉に大神も頷く。

「そうだ。アメリカに見切られた。昼間砲撃戦を挑んできた」

 日本に空母なし、と看破した米軍は、戦艦による制海権奪取を狙ってきたのだ。
 この段階で制海権を奪取されれば、上陸部隊の補給線は寸断される。また、昼夜を問わずの艦砲射撃をうければ、上陸部隊の全滅も覚悟しなくてはなるまい。
 そうなれば、残された道は、一つしかない。

「艦隊決戦だ」

 大神の低く静かな、しかし、不思議と通る声は、司令室に静寂をもたらした。
 今次大戦前、各国海軍が基本戦略として思い描き、それに向けて戦力を整備し、訓練を繰り返してきた。しかし、ハルゼーが空母機動部隊でトラック奇襲に成功したことで、その機会は永遠に失われたのだと、思われていた。
 それが今、復活しようとしている。

「応!」

 参謀のだれかが発っした声に、司令部の静寂は一気に破られ、騒がしくなる。
 軍人は思考として現実主義者(リアリスト)でなくてはならないが、また、心情として浪漫主義者(ロマンチスト)であることが多い。
死を賭すことを日常とする職業に従事するには、そうした精神の有り様が必要なのかもしれない。
 彼らは見えないところから放たれた小型兵器によって死命を決するより、堂々とした大艦隊同士の決戦を夢見ていた。
 それが実現することに、高揚を覚えずにはおれなかったのだ。

「おそらく、これが世界戦史上最後の艦隊決戦になるだろうな……」

 大神がそうつぶやいたのと、同じことを思っていたのは、第六一任務部隊司令官ウィリス・A・リー中将であった。
 彼はハルゼーから艦隊を託されたとき、その栄誉を与えられたことに感謝した。
 しかし、もちろん、単に喜んでいられるわけではない。
 日本海軍の戦艦部隊もおそるべき相手だ。世界戦史上に残るワンサイドゲームにして、艦隊決戦思想を具現化したツシマ沖海戦(日本海海戦)の勝者の末裔である。彼自身、第三次フィリピン海戦では一敗地にまみれた。リベンジの機会を与えられたことに、奮い立たないわけにはいかない。
 そして、そのために彼に与えられた戦艦の数は五隻。
 一見すると、これは、米海軍が現有する戦艦数の四分の一ほどでしかなく、少ないようにも思える。
 しかし、率いてこなかった古い戦艦達は速力が二一ノット程度しかない。対する日本軍は、今回、対峙するであろう『長門』『陸奥』で二三〜四ノットと推測していた(実際は更に優速で二六ノット)。新型戦艦(『大和』型)に至っては三〇ノット(実際には二七ノット)と推測しており、また、更に三〇ノットの快速戦艦である『金剛』も日本軍に残っている(実際には修理中で海戦に参加できず)。これに二一ノットの艦隊で立ち向かっても戦術的にいいようにやられてしまう。
 高速艦隊と低速艦隊を分けるという手もあるが、第一次大戦のジュトランド沖海戦で、高速艦隊と低速艦隊を戦場で有機的に結合して運用することは困難であることが示され、また、戦場の主導権を握るには機動力が不可欠であるという戦訓が既に得られて久しい。
 ましてや、彼女たちはコロラド級三隻が四〇.六センチ砲である他は、三五.六センチ砲搭載艦だ。そして、コロラド級も含めて防御は対三五 .六センチ砲防御でしかない。

「ナガトクラスはもちろん、新型戦艦も四〇センチ砲だ」

 作戦立案時、ハルゼーはリーにそう分析結果を披瀝したことも、新型戦艦のみで艦隊を固めた理由となった。
 とはいえ、米軍はそれらの旧式戦艦によらずとも十分な戦力を整えたと考えている。
 一つは航空兵力。
 壊滅した両軍の空母戦力であったが、米軍にはまだ護衛空母ならば残っていた。
 もちろん、大西洋での対独レンドリース船団護衛と太平洋の補給線維持のために彼女たちは必要不可欠である。ことに先の海戦でハルゼーが多数の護衛空母を失ったことで、その維持のための護衛空母の数はギリギリになってしまった。特に大西洋では正規空母を擁する強力な英海軍に対抗しなくてはならず、正規空母の穴を埋めるために護衛空母にかかる比重は大きい。
 それでも、そこから護衛空母一隻を、この戦場に抽出することに成功した。

「攻撃隊としては期待するな。中途半端な戦力を出しても損害が嵩むだけだ。それよりも索敵と制空権だ」

 航空兵力の運用となれば、ハルゼーが専門家だ。僅か二〇機程度では空襲を行うよりも補助兵力として用いた方がよいというのは、冷静な分析であろう。
 しかし、それでも、日本軍側に空母がないというのであれば、制空権の確保はまず間違いない。そうなれば、遠距離砲撃において命中率を向上させるのには不可欠な上空の偵察機からの弾着観測を妨げることができる。対してこちらは上空観測もできればレーダーもあるのだから、優位にたつ。

「それにこの艦がある」

 リーが旗艦としたのは、戦艦『アイオワ』。
 今年二月に竣工予定だったものを、繰り上げて竣工させた最新鋭戦艦だ。
 主砲は四〇.六センチだが、前級のサウスダコタ級の四五口径から五〇口径へと長砲身化。初速を向上させるとともに発射速度も向上させた新型砲である。
 更に、米戦艦の主砲弾はスーパーヘビーシェルと呼ばれる超重量砲弾だ。従来の四〇.六センチ砲弾が一〇一六キログラムだったのに対して一二二五キログラムと二割程度、重量を増している。単純なことではあるが、砲弾が重ければ重いほど運動エネルギーは大きくなり、特に遠距離における威力は増大する(引換に射程は短くなるが)。これは、同じ口径でも他列強の砲弾より強力な砲弾になる。もちろん、日本軍の砲弾よりもだ。
「敵戦艦部隊、確認しました!」
 護衛空母『サンガモン』からの索敵機が日本艦隊を発見した。
 リーはそれに肯くと居並ぶ幕僚を鼓舞する。

「トーゴーのチルドレンを葬るぞ」


つづく


ご感想は下記のフォームからお願いします。

■感想がありましたら、こちらからどうぞ。
■些細な一言で構いません。メッセージお願いします

名前 (ハンドル名可)
コメント、ご感想

ご記入後、「確認」ボタンを押してください。


一つ前に戻る
目次に戻る