第六話「咆哮」(その7)

「通行証(レセ・バセ)をお見せ下さい」

 夜11時。
 パリ警視庁の警官に呼び止められた男は、無言でそれを懐から出した。
 警官は、それを手に取り、懐中電灯で照らしながら確認する。

「結構です。ですが、無用な外出はお控え下さい。ありがとうございました」

 男はそれにも無言で、ただ軽く手をあげて、恭順の意思を示すと、ゆっくりその場を歩き去っていく。

(……行ったね)

 背中を向けながらも、警官の様子を伺い続けていた男は、自分が警官達の死角に入ったと確認できるや否や、今までの動きが嘘のような俊敏な動きで路地に入る。そして、一見は何のへんてつもない建物の中へと消えていく。
 かつては店舗であったらしい、しかし、今は殺風景な部屋。そこをまっすぐに突っ切ると、奥の扉をノックする。

「よう。釣りの成果はどうだったい?」
「ダメ。次は釣竿2本(Deux Gaule)でやってみる」

 と、蒸気音とともに扉が開いた。
 古びた木の扉に見えていたが、表面だけ。内部は蒸気エレベーターだったのだ。
 男はそれに乗り込むと、自動的にエレベーターは下降をはじめ、しばらくの後に、目的地に着く。

「お帰りなさーい、大丈夫だった?」
「ああ、アイリス。問題ない」

 真っ先に迎えてくれたアイリスにこたえながら、帽子を脱いたのは、男装をしたレニであった。
 ここは、グラン・パレ地下の“秘密基地”。彼女が通ってきたのは、グラン・パレからやや離れた位置に設けられた、いくつかある秘匿入口の一つである。
 といっても、現在のところ復旧できたのは他にもう二箇所だけだが。

「途中で、警察官に質問されたが、この通行証のおかげで切り抜けられたよ」
「えー、無礼な警官ですねー!」

 文句を言うのは、織姫だ。

「エビアン警部! もっと部下に手を抜くように言うでーす!」
「おいおい、無茶言うなよ。好きでやってんじゃないんだ。ナチの連中の圧力が凄くてどうにもならんよ」

 フランスはヴィシー政権として独立国という建前をとっているが、実態はドイツ占領下であり、一切が彼らに掌握されている。
 治安においても例外ではなく、フランスの警察組織はドイツ治安部隊の下部組織として組み込まれてしまっていた。一般の警察活動という点ではかわりないにしても、ユダヤ人狩りやレジスタンス摘発を行わざるをえず、また、フランス領内でのSSなどドイツ治安部隊の闊歩にも目を瞑るしかなかった。

「そうだぞ、織姫」

 エビアンを庇うのはグリシーヌである。

「我々の偽造通行証とて、元紙をエビアン警部が入手してくれたからこそだぞ」

 ドイツ占領下になって以来、パリには夜間外出禁止令が出ており、通行証がなくては夜間外出はできなくなっている。
 もちろん、レジスタンス側にとってみれば、夜こそ活動すべき時間帯なのだから、この通行証というのは非常に重要なアイテムだ。
 このメンバーのものは偽造といっても、本物の台紙を使っているのだから、その完成度は高い。通行証自体から見破られることは、ほとんどありえない。その意味でエビアンの貢献は大きい。

「さっすが、警部ですよね!」

 付き合いの長いエリカも、手放しの賞賛だ。

「でも、あの合言葉、ちょっとわかりにくいですよねー」
「おいおい。それを決めたのは俺じゃなくて、ジャン班長だろ」
「あれー? そうでしたっけ?」

 相変わらずだ。
 これで疎まれないのは、天賦の才といっていいかもしれない。
 が、何にしても、ジャンとしては心外だ。

「そうかな。わかりやすいと思ったんだがな。俺達の気概を示してていいだろ?」
「……キガイ??」

 さっぱりわからないといったエリカに、頭を抱えながらグリシーヌが噛んで含めるような説明をはじめる。

「いいか、エリカ。このフランスをナチの手から解放すべく戦っている自由フランス軍って知っているか?」
「まーたまた、当然じゃないですかー」
「で、リーダーは誰だか知ってるか?」
「あ、ちょっと待ってください……そうだ、ドゼー将軍ですよね!」
「それは、ナポレオン時代の軍人だ!」
「え、えーとえーと…………わかってます、そうですよ、ド・ゴール(Degaulle)将軍ですよ!」
「そうだ。じゃあ、合言葉は?」
「んーと、釣竿2本(Deux Gaule)……なーんだ、洒落だったんですね!!」

 ようやく気づいたようである。
 グリシーヌは大きな溜息をつく。

「まあまあ、嬢ちゃんたち。そのくらいでいいかい? レニの報告を聞こうじゃねーか」

 ジャンがこのままでは埒があかないと“司会”を進めた。もっとも、“嬢ちゃん”という年ではもやはあるまいが、そこは昔のクセであろうか。

「そうだね。基本的に地方の都市でもパリと状況は一緒だよ」

 促された形になったレニが報告をはじめた。
 この時期、フランス各地では物資に特段の不足はない。
 確かにフランス国内製品は減っていたが、アメリカからの輸入物資がそれを補っていたからだ。
 ドイツ統治で治安が厳格化されたことに、多少の息苦しさを感じる向きはあるが、一方で、ユダヤ人を助けるふりをして安価に財産をせしめ、それを転売することで巨額の富を築いたり、ドイツ軍を相手に商売して利益を得るなど、現在の状況をうまく利用している人間も少なくない。
 結局のところ、命をかけてナチを打倒しようと思うのは、各地で潜伏を余儀なくされているユダヤ人くらいのものだ、という結論だ。

「ちっ。様ねぇな。それでもフランス人かっていうんだ」

 ジャンはフランスの市民の不甲斐なさを責める。

「いや、今だからだろう。ドイツ軍が元気なうちは、かなわないと思って我慢しているだけだ」
「グリシーヌの言うとおりだと、僕も思う」

 レニが冷静な分析を述べていく。

「所謂サイレントマジョリティとよばれる人たちは、どうしても、自分の生命や保身を第一に考えて、声をあげることを控えてしまう。不満があっても、耐えてしまうんだ」
「ふーん。我慢しなければいいのにねー」

 アイリスの言葉にはグリシーヌが苦笑する。

「仕方あるまい。一般の人々は、我々のように力も、戦う術ももっていないんだ」

 ただ、いずれにしても、今は動くべき時ではないという結論に達せざるをえなかった。

「行動を開始するには、連合軍がドイツ軍を、もっと強く圧してくれないとダメだということだな」

 それには、どのくらいの時間がかかるのか。
 いや、ドイツ軍がそんな不利に陥るのだろうか。
 不安が一同によぎる。
 しかし、織姫だけは確信に満ちていた。

「それなら問題ないで〜す。オーガミさんが、きっとドイツ軍をこてんぱんにしてくれまーす!」

 その名を聞いただけで、雰囲気は一変した。

「そうよ。お兄ちゃんならバッチリだよね!」
「確かにな。ま。まずはアメリカを屈服させてもらわんとな」
「国力が違いすぎる。日本がアメリカを倒すのは不可能だ。でも──隊長は、いつも計算以上の結果を導くから」
「オーガミさんのために、プリンをたーくさんつくっておかなきゃ!」

 未だに彼の影響力は健在であり、旧帝撃チームにとっては要の存在なのでる。

 アメリカ西海岸。オレゴン州ブランコ岬沖。
 そこに浮上したのは、帝國海軍の伊号第二五潜水艦だ。
 そして、浮上するや否や、甲板上に慌しく人が行き来し、艦体前部に装備され呉式一号四型射出機(カタパルト)上に、零式小型水上偵察機を組み立てる。
 元来、潜水艦とは、その秘匿性を利用して、敵船を奇襲的に襲撃するという兵器だ。
 だが、帝國海軍は米に比して劣勢な海軍力を補うため“潜水艦隊による敵艦隊への大規模攻撃”という作戦方針を打ち立てた。そこで、潜水艦自身の索敵力強化を必要とし、潜水艦に小型航空機を搭載するという他国に類をみない兵器体系を整えたのである。
 中でも伊二五は、乙型に属し、照和一六年一〇月に竣工した新型であり、今回の大任を任されるのにふさわしい。

「よし、行きます!」

 操縦士・藤田信雄飛曹長の合図で、射出機から零式小型水偵が射ち出され、今次大戦勃発以降、はじめて、アメリカ本土領内に日の丸をつけた航空機が飛んだのだ。

「大丈夫でありますか、大河中佐殿」
「うん。久々に日光を浴びれて嬉しいよ」

 複座の後席にのっているのは、大新次郎海軍中佐である。
 米本土に近づくにつれ、浮上航行は夜間中心、あるいは、昼間浮上ではすぐに潜行できるよう、乗組員は甲板に出ることを禁じられていた。
 大河にはかなり苦痛だったようだ。

「ははは。しかし、これからは大変でありますね」
「そうでもないよ。ここに戻ってこれたこたは嬉しいからね」
「戻って……でありますか?」
「ああ。このご時世に不謹慎だとは思うけど、アメリカは、僕の第二の故郷だから」

 かつて、紐育華撃團として戦ったのだ。
 この国に愛着があるのは当り前のことである。
 だからこそ、早く日米戦争を終らせたい。
 山本次官から、米に潜入して和平への工作を行うように命じられたことには、その困難さを理解した上でも、感謝の念が先にたった程だ。

「しかし、大変なのは君だろう」

 藤田は、大河を“降ろした”あと、その本来の意図を隠蔽するため、焼夷弾を投下することになっていた。そして、大河を乗せていたがゆえに航法士なしで帰還しなくてはならない。

「そうですね。ですが、中佐殿の話を聞いていたら、なにか気が楽になりました」
「え、そうかい?」

 まるで気負いのない大河の姿に感化されたのかもしれない。
 ともあれ、そうこうしているうちに、大河が降りるポイントについた。
 大河は後部座席の風防をあける。

「ご武運を」
「飛曹長も!」

 藤田が機体をバンクさせるのに合わせて、大河は座席を蹴り、空中へと飛び出た。

「……5…4…3…2…1…0!」

 闇に紛れられるよう、黒に着色された落下傘が開く。
 人目につかないところを選んで降下したため、着地地点では樹木に絡んで危険だったが、なんとか大きな怪我をすることなくアメリカに侵入することができた。
 潜水艦浮上から短艇による上陸では、目撃される可能性が高く、危険であろうという判断で実行された作戦であったが、こちらのほうが目立つような気がしないでもない。

(ま、うまくいったんだからいいか)

 とにかくこの場を早く離れることが肝要だ。
 自分の痕跡を極力消すと、大河は町へと歩みを進めた。

「とにかく、知己に会わないと……まずは、紐育を目指してアメリカ横断だな」

 この後、藤田は爆撃を成功させ、手間取ったものの潜水艦との合流を辛うじて成し遂げる。更に翌日には、やや場所を移動しての爆撃を成功させる。
 この二回の空襲は、この大戦中における日本によるアメリカ本土空襲の最初と最後であった。

 

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