第一部「江戸の喧嘩」(其の伍)


 1週間後 試衛館。
 道場の門の前に、一人の剣客が現れた。

「御免!」

 中に入ると竜馬が七輪で魚を焼いていた。

「・・・・どちら様で?」
「神道無念流、錬兵館から参りました。永倉新八です。近藤先生にお取次ぎ下さい。」
「承知しました、しばしお待ちを・・・」

その頃、近藤は土方と何やら相談をしていた。

「参ったね、トシさん。」
「・・・・・」

 ちょうどこの頃、江戸ではコレラが流行。当時には明確な治療法が存在しなかったため、医者も手の施しようがなく、感染者はただ死に行くだけであった。
 その余波は試衛館をも巻き込んでいた。
 門下生が来なくなっていたのだ。もともと貧乏だった道場がより貧乏に。
 しかし、どういうわけか近藤、土方、沖田、井上の4人、居候の4人だけはピンピンしていた。

「いよいよ行き詰まってしまったな。」
「・・・・・」
「近藤さん、いいかい?」
「おお、竜さんか。入ってくれ。」
「近藤さん、実は今、錬兵館から永倉新八という御仁がお見えになっているが・・・」
「おお、永倉君か。通してください。」
「はい、ただ今。」

 永倉の話はあまりいいものではなかった。
 以前試衛館に敗れた甲元一刀流の者達が仕返しのために大勢の腕利きの浪士達を集めているというものだった。

「やだなぁ、まだあのことを根に持ってるんですか。」

 総司はまるで人事のように話す。

「総司、お前にも関係のあることなんだぞ、ちゃんと聞け。」

 井上が叱っても総司は態度を改めない。

「だって、お祖父ちゃん。喧嘩を仕掛けてきたのは向こうでしょう?向こうから来て負けたのに仕返しなんて、おかしいですよ。」

 土方は少し笑いながら言う。

「総司。喧嘩ってのは、理屈でやるもんじゃねぇんだ。やられたらやり返す。それが喧嘩だ。」

 理屈は不要。それは近藤と土方の合言葉のようなものだった。
 そのとき、近藤が腕を組みながら漏らした。

「はあ・・・斎藤君が居てくれたらなぁ・・・・」
「斎藤?」
「ああ、竜さんは知らなかったな。竜さんが来る少し前まで、この道場には斎藤一という明石の浪人がいたんだ。彼は一刀流の達人でね。かなりの腕だったよ。」

 斎藤 一。明石藩を脱藩し、諸国を遍歴した末に試衛館道場に流れ着いた浪人。あまり素性を明かさないが、剣術の腕は間違いなく強い。現在は国許に戻っている。
 土方は斎藤の話をする近藤を制する。

「近藤さん。居ねぇ奴のことを言っても始まらん。今居る者でどう戦うかを考えるんだ。」

 そのとき、山南と藤堂がニコニコしながら戻ってきた。

「近藤先生、吉報ですぞ!!」
「どうしたんです、深刻な顔をなさって・・・」
「吉報とは?」

 山南の持ってきた話は、浪士隊募集の報せだった。
 北辰一刀流の達人。清河八郎は幕府の役人に将軍上洛に際して護衛役として浪士を雇うことを勧めた。この時の京は攘夷派の浪士たちが溢れていて危険な状況にあった。
 目には目を。浪士には浪士を以って対処するというものだった。
 しかし、この清河の話には裏があることを、まだ誰も知らなかった。
 結果、この話を幕府は受け入れ、浪士隊を組織することになった。その隊長格に任じられた清河はまず同門の浪士達に呼びかけた。
 山南、藤堂は清河と同門。この報せはすぐに耳に入った。

「なるほど・・・上様の護衛か・・・・」

 近藤も竜馬も乗り気である。

「このままコレラの流行る江戸にいても仕方ありませんしな。」

 しかし、土方が話の進行を止める。

「近藤さん。今はそんなことを話し合っている場合ではない。甲元一刀流をどう始末するか、それを考えるんだ。」

 確かに土方の言うとおりである。
 この後、約一刻ほど論議は続いた。
 そして作戦が決定した。
 浪士たちが完全に集結する前に、こちらから奇襲攻撃をかけることになった。
 その日、土方の姿は実家のある日野にあった。

「御免。」

 中に入ると義理の兄、佐藤彦五郎がいた。

「おお、トシ。何だ?」
「兄さん。折り入って頼みがある。」
「・・・・・何だ、言ってみろ。」

 土方はまず、浪士隊に加わって京都へ行くことから話した。
 そして、話は本題に入った。

「刀が欲しい。・・・俺の持っているようなナマクラでなく、ちゃんとした・・・将軍様の護衛にふさわしい名刀だ。」
「・・・・・」

 彦五郎は黙って箪笥の引出しを開け、中から一振りの刀を出した。

「黙ってこれを持ってけ。」
「これは・・・・」
「二代目和泉守兼定・・・通称、之定だ。」
「の、之定!?」

 和泉守兼定。戦国期からつづく名刀で、特に二代目の刀は之定と呼ばれ、100両近くする大変な名刀である。

「俺と、お前の姉さんがいつかお前が本当の侍になる時のために働いて買った刀だ。京へ行け、トシ。そして、本当の侍になって来い!」
「兄さん・・・ありがとう。姉さんによろしく!」

 土方は之定を持って走り去っていった。
 その頃、近藤たちの姿は八王子にあった。甲元一刀流の道場は村の外れ。既に20人近くの浪士が集まっている。
 攻撃開始は正午。もう間もなくだ。

「遅い・・・・まだか・・・・」

 藤堂、永倉の二人が苛立っている。土方がまだ現れないのだ。
 しかし、二人をよそに、近藤は腕を組んで落ち着いていた。

「・・・・・」

 そのとき、遠眼鏡を覗いていた竜馬が叫んだ。

「来たぞ!!」

 近藤は立ち上がり、道の向こうを見た。
 土方が刀を手にして走ってくる。

「刀は手に入ったみたいだな。よし!突入するぞ!!」

 沖田も立ち上がり、刀を差す。

「やりますか。」

 永倉、藤堂、原田の三人は手のひらに唾を吐き・・・

「よーし、暴れてやるぞ!」
「派手に行きますよ!」
「けけけ、ぶった斬ってやる。」

 竜馬、山南、井上の三人は実に落ち着いている。

「相手は20人。一人で2〜3人倒せばいい。」
「油断はなりませんぞ。」
「わしもまだまだ現役ですぞ。」

正面からは近藤、沖田、永倉、山南、藤堂が。裏から土方、竜馬、原田、井上が突入する。

「・・・・行くぞぉっ!!」

 近藤の合図で全員突入。

「げっ、試衛館!?」
「出入りだぁっ!!」

 完全なる奇襲により、勝敗は初めから決していた。
 浪士たちは散り散りになり、斬殺、もしくは逃亡していった。
 13人が斬殺され、残りは逃亡。試衛館側に人的被害は無かった。

 そして、文久三年・春―――――
 近藤勇とその一党は京へ向け、出発した。



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