さくら 妖怪伝
〜弐幕・江戸篇〜







宝泳4年、春。江戸・・・

「ひぃ〜〜〜ぃ!お、お助け〜」

 夜も更けて、人通りも途絶えた川沿いの道筋に男の悲鳴があがる。土手に並んだ桜の木を夜桜見物としゃれ込んでいたらしき男が、尻餅をついたまま、必死で後ろにずり下がっていく。
 瞬きもせずに大きく見開かれ男の瞳は、川縁の方に釘付けになっている。

 その視線の先には、ゆっくりと近づいてくる影が1つ。一歩一歩踏み出すごとに、バシャッ、バシャッっと水溜まりを歩くような音が聞こえてくるのは、影の主が川から上がったばかりだけではない。
 影の主のぬめりを帯びた両手、両足には大きな水掻きが、背中には大きな甲羅が見える。そして頭頂には、水皿が・・・
 そう、影の主の正体は、大河童であった。

「・・・・・・・!」

ふと、大河童の歩みが止まった。大河童と男の間に、新らたな人影が割って入ったのである。

「お、お侍さま、お助けをっ!」

白い羽織を背負ったその人影が、腰に二本の刀を差していることに気づいた男は、その足にしがみつくかのように助けを求めた。

 侍の登場により、一度は歩みを止めた大河童であったが、再びゆっくりと近づきはじめた。
「河童か。妖しのなかでも比較的穏健な部類にはいるはずだが・・・」

侍は、そう言って腰の刀を抜き放つと、中段に構えた。そしてそのまま、大河童をジッっと睨みつける。本来穏健な性格のはずの河童ならば、それで川に帰ることを期待してのことである。
 しかし、大河童の歩みは止まらない。

「何ゆえ人を襲うかは問わぬ。立ち去れ!」

侍は、そう言い放つことで再度恫喝するが、効果はなかった。

「その目、正気を失っているのか?」

侍は、大河童の目の光りから、大河童が正気を失っていることに気づいた。

「おい!退っていろ。」

「ひえぇ〜っ、お助け〜!」

足下にしがみつく男に下がるように言うが、恐怖におののく男の耳にはまるで届いていないようである。その間にも、大河童はジリジリと迫ってくる。

「むぅ!」

男はやむえず、そのままの体勢でもう一振りの刀を抜いた。それは脇差しではなく、最初に抜いた刀と同じ長さと大きさの長刀である。
 侍は二刀を構えようとするが、足下の男が邪魔で十分な構えがとれない。

「!!」

男を無理矢理、跳ね退けてるべきかどうか迷った瞬間、それまでゆっくりと近づいてきた大河童が、突如飛び掛かってきた。
 虚をつかれ、なすすべもなく立ちつくす侍に、いましも大河童の振るう右手が届こうとした瞬間、

「破邪剣征・桜花放神ーーー!」

目もくらむばかりの霊力の光の筋が、侍の肩越しに駆け抜けた。
 霊力の塊は、大河童にぶつかると、そのまま川縁まで吹き飛ばした。

「これは・・・?」

後ろを振り返った侍の目には、刀を構えた少女の姿があった。
 桜色の着物に、緋色の袴を身に纏った少女は、侍と目が合うとにっこりと微笑んだ。


 翌日、江戸城内の某所。

「そうか、『降魔の封印』が・・・」

老中・米田一基は、一人の少女と話していた。昨夜、大河童を見事退けた少女−裏御三家が一、北の『真宮寺』家の直系・真宮寺さくら−である。

「父上には及びませんが、父の指導の下に修行してまいりました。」

さくら は、思わずそう言った。米田の不安げな表情が、自分の力に対する不安だと勘違いしたのである。
 対して、米田は苦笑を浮かべながら、

「そりゃぁ判ってるぜ。なんせ、お前が寝しょんべんしてた頃から知ってるだからな。」

「寝しょん・・・!もう、米田のおじさん!!」

立場を忘れて、思わず昔の呼び方をしてしまう。険悪になりかけた場が一瞬でなごんでしまったことに、 さくら は気づかなかった。

「いや、助かるぜ。『降魔の封印』の重要性は俺も知ってる。それに、実は南の『隼人』からも連絡がへーったんだが、『隼人』の方も身動きとれねぇ状態らしい。」

「・・・・!!」

「九州には、『不二の結界』に匹敵する、『高千穂の結界』が存在する。『富士』の揺らぎの余波がそっちにも影響を及ぼしているってこった。」

さくら は今更ながら、事態の深刻さを感じとった。

「まぁ、お前さんばかりに苦労かけようと思っちゃいねぇよ。」

米田の砕けた口調は、さくら の緊張をほぐすかためであろうか。

「ちぃっと紹介がおくれちまったが・・・」

米田の視線に促されるように、部屋の端に座していた女性が、前に進みでると、

「真宮寺さくら さんね。藤枝あやめ です。」

そう言って、微笑みを浮かべた。

「こりゃぁ、極秘事項なんだがよぉ。あやめ君は実は陰目付なんだ。」

米田はやや大げさに声を潜める。それは、人に聞かれないためというより、単なる冗談のたぐいのようである。

「陰目付?」

聞き慣れぬ言葉に、思わず聞き返す。

「おうよ。幕府には公にできねぇいくつかの組織がある。そんな組織を大目付や目付に代わって取りまとめる者を陰目付と呼ぶんだ。」

さっきのひそひそ声は何なのか、今度は大声で自慢げに話す。気後れする さくら をフォローするかのように、あやめ が続ける。

「『寺社奉行所付け、あやかし方』それが、私が任されている所よ。」

「はぁ・・・なるほど」

さくら は、幼い頃から抱いていた米田のイメージと、目の前の米田のギャップにあっけにとられていた。すると、

「おうっ、やっと来やがったか。」

「そんなところで遠慮してないで、お入んなさい。」

突然、米田が さくら の後ろ(正確には、彼女の後ろの障子の向こう)に向かって声をかけた。
 さくら は、そこで初めて障子の向こうに人の気配を察した。女の身とはいえ、真宮寺の直系として修行を重ねてきた彼女よりも先に、気配に気づいた米田と あやめ の秘めた力を。

「はっ!失礼します。」

そう言って、障子の向こうより姿を見せたのは、白い羽織に二本の大刀を差した、昨夜の侍であった。

「寺社奉行所あやかし方・筆頭同心、大神一郎。参上いたしました。」

「寺社奉行・・・あやかし方・・・筆頭同心・・・大神・・・」

大神と名乗った侍は、まず米田と あやめ に向かって一礼をすると、驚きのあまり、惚けたように呟く さくら に向かって微笑みかけた。

「やぁ、また逢ったね。」

大神の少年のような笑顔を見た瞬間、さくら は我に返った。

「あっ、わ・私は・・・真宮寺さくら です。・・・え〜と、その・・・宜しくお願いします。」

うろたえまくる さくら の挨拶に対して、大神は再度微笑むと、

「あなたのことは、米田様から良く聞かされていました。宜しく。」

「えっ?米田さまから!?」

さくら は、米田を振り返った。

「いや、何・・・酒盛りの中での話で、おめぇさんがちっちゃかった頃に・・・」

さくら は、米田に皆まで言わせず、きっと見据えると、

米田のおじさん!!



「ここが!?」

さくら は思わずそう聞き返さずにはいられなかった。

「そう、ここが『寺社奉行所付け、あやかし方』の屯所だ。」

さくら の反応を予期していた−いや、楽しむかのように告げる大神の視線の先にある建物の入り口には、大きな看板が1枚。

華劇座


そう、そこは巷で評判の歌劇芝居の劇場であった。
 古来、歌舞伎などほ筆頭に劇や芝居の類は女人禁制であったが、数年前から幕府のお墨付きで公演をはじめたこの一座、当初は伝統を重んじる他の歌舞伎一座等との確執があったものの、今では江戸は言うに及ばず、上方や奥羽までその名が伝わる程の大人気一座に成長していた。

「さぁ、こんな所じゃなんだから、中に入ろう。」

大神に促されるまま、さくら は劇場の中に入っていく。

「いらっしゃいませ!・・・って、なんだ大神さんでしたか。」

中に入ったところで、二人は元気な声に出迎えれれた。入り口から少し入ったところに声の主の少女が立っていた。
 彼女の前の棚には、一座の浮世絵が所狭しと並べられている。

「彼女は、劇場の売り子をしている高村椿くんだ。椿くん、こちらが真宮寺さくら くんだ。」

さくら は、二人を紹介しあう大神の言葉に、何か引っかかるものを感じた。

「宜しくお願いしま〜す。」

『満身元気』そう表現できそうな椿の挨拶が、さくら の心に生じた疑問を吹き飛ばす。

「さくら くん、いくよ。」

大神は、呆気にとられている さくら を促して奥へと進んだ。

「あ、あの〜大神さん・・・ここって本当に・・・」

「もちろん、まごうことなき『あやかし方』の屯所だよ。」

そう応える大神の笑顔は、城でみた少年のような微笑みではなく、いたずら小僧のそれに近いモノがあった。
 時折みせる、外見や肩書きとは裏腹のそれらの表情に、いつしか さくら は大神に心を開き始めていた。

「大神さん、あんまりいじめちゃダメですよ。」

二人の背後から、内容とは裏腹に、やや楽しげな響きを含んだ声がかかる。

「やぁ、かすみ くん。」

振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。さくら よりほんの少し年上のような彼女を見て、さくら は一瞬、先程城内で逢った あやめ を連想した。
 顔だちが似ているわけではない。二人とも理知的で落ち着いた物腰ではあるが、あやめ のそれが、母親の印象が強いのに対し、彼女はどちらかといえば、姉を想像させる。−もっとも、一人っ子である さくら に姉は居ないので、それこそ想像に過ぎないかもしれないが。
 では、一体何が?・・・

「彼女は、藤井かすみ くんだ。この一座の事務を取り仕切っている。」

「真宮寺さくら さんね。米田さまより伺っています。私は藤井かすみ です。宜しくね。」

そう言ってにっこり笑った かすみ の笑顔を見ながら、さくら は再度違和感を感じていた・・・

「藤井かすみ さん・・・高村椿さん・・・ あっ! 二人とも名字を・・・」

かすみ と椿の名前を繰り返して呟いて、ようやく気づいた。二人とも身なりは町娘の格好であるが、姓を名乗っているということは、武家の生まれということである。

「はい、私の実家は さくら さんと同じように、代々続く武家の一門なんですよ。」

かすみ の答えを、大神が補足する。

「『寺社奉行所付け、あやかし方』は世間には秘密になってるからね。おっぴらに番所を設けるわけにはいかないんだよ。」

「言われてみれば、その通りですね。私あせっちゃいました。はずかしいです・・・」

両手を頬に当ててはにかむ さくら に、かすみ がおどけた感じで言った。

「気にすることないですよ。大神さんがここに初めて来たときなんか・・・」

「あっ、あ〜・・・さくら くん。次に行こう!」

大神は、かすみ の言葉を慌てて遮るように、さくら を劇場の奥に引っ張っていく。引っ張られながらも、さくら は、後ろの方で、かすみ の声にならない笑い声を聞いたような気がした。



「へっ、今頃は さくら の奴、目ん玉丸くしてやがる頃だろうて。」

米田は、城下の見える窓の障子を開いて、くつろいだ姿勢で眼下を眺めながら、楽しそうに呟いた。
 その傍らには酒瓶が置かれ、片手にはぐい飲みが握られている。

「老中もお人が悪い。」

米田からやや離れた位置に座る あやめ が、口元をほころばせながら、それに応える。

「まっ、『不二の結界』の綻びの中心がはっきりするまでは、当分の間『あやかし方』を手伝って貰うことになろうて。」

「ついでに、歌劇座の方にも出て貰いましょうか?」

「そりゃぁ、いい」

あやめ の提案に、米田は膝をたたいて大笑いをする。

『・・・米田さま・・・』

不意に、部屋のどこからか呼びかける声がした。

「おめぇか。どうだった?」

米田は、当たり前のように、その主なき声に応える。

『はっ、かの地に放った配下の者のうち、一名がようやく江戸に帰りつきました。やはり一連の騒ぎの中心は富士の裾野は、草薙の地にあるようです。』

「帰ってきたのは一名だけですか?」

あやめ が思わず口をはさんだ。

『はい。しかし、その者も仲間の元に辿り着いてしばらくの後に、息をひきとりました・・・』

「草薙か・・・あそこにゃ、確か降魔の封印の一環たる社があったよなぁ・・・」

米田が他人事のように呟く。

『まさか・・・かくなるうえは、あやかし方付き・公儀お庭番衆・月組組頭である、この加山が自ら出向き・・・』

「お待ちなさい。」

姿なき声の主−加山の言葉を、あやめ が制した。

「事が降魔に関わるかもしれないならば、わたくしが出向きます。」

「あ、あやめ くん!」

いままで泰然とした態度を崩さなかった米田が、手元の酒がこぼれるのも気づかないほど慌てた。

「直系ではないとはいえ、仮にも『藤』の名を継ぐ一族の者として、見過ごすわけには参りません。」

あやめ の真摯な眼差しを、正面から受け止める米田であったが、やがてふっと目をそらす。

「しかたねぇか・・・だがな、あやめ くん。決して無理をするんじゃぁねぇぞ。」

そう言って、米田は再び窓の外に目を向けた。
 眼下の町並みを眺めていた先程と違い、いまの米田の視線の先では、今しも沈まんとする太陽が、空を茜色に変えていた。

「ちぇ!夕焼けまで不吉に見えてきちまうぜ・・・」

そう言って、米田は新たに継ぎ足した酒を一気にあおったのである。



つづく・・・でしょう。たぶん(笑)


一つ前に
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