第一話「帝国華撃團・雪組結成!」(その1)



其の壱 逃げ出したいvs逃げ出せない

「ごめんなさい……! 私にはできない。私には、みんなと肩を並べて戦うコトなんてできっこないんだわっっ!」

 耳の奥に、まだ自分自身の叫んだ言葉がこびりつくように残っている。
 降りしきる雨が石畳に叩きつけるその音。それが、恵里にはあんな言葉を仲間たちに言い放ったことを後悔させ、責めたてる声のようにも聞こえていた。

 帝国華撃團・雪組はまだ発足間もない部隊である。
 いやむしろ、発足を間近に控えた――と言う表現の方がぴったり来るかもしれない。
 隊員の頭数もまだ完全には揃っておらず、正式な活動開始に向けて訓練に精を出している真っ最中なのである。
 雪組隊員として集められた少女たちは、皆、選りすぐりの霊力の持ち主だったが、集結してからの日の浅さだけはどうにもならない。日々の訓練の中でも足並みの揃わないことが度々起こった。逸る気持ちとは裏腹に、もどかしい試行錯誤を積み重ね、仲間たちの結束をより強いものにして行かなければならない辛い時期でもあった。
 田中恵里は、その中でももっとも新しい隊員だった。
 雪組配属から二ヶ月――。
 ふとした折りに、仲間たちの呼吸を乱すこともまだ多い。そんな毎日にすっかり自信をなくし、気分が沈みがちになっていたところに、今日の訓練でも大失敗をやらかしまった。
 仲間たちは誰も恵里を責めたりはしなかった。
 むしろ、彼女のいたらなさを必死にカバーしようと懸命だった。
 だがその仲間たちの思いが、かえって恵里の気持ちを追いつめる結果となってしまったのだ。

(私……みんなの重荷になっている……)

 これまで堪えてきた気持ちを一気に爆発させて、恵里はついに飛び出してしまった。  こういう時、不運は重なるものだ。
 朝から薄曇りだった空からは、待っていましたと言わんばかりに大粒の雨までが降り出してくる始末だ。
 初夏とは名ばかりの……まだ肌寒い陽気。
 冷たい雨に叩きつけられて走るうちに、恵里は自分の気持ちがどんどん暗く沈み込んで行くのを感じていた。
 何処へ行こう、とか、何かをしようとか、飛び出したときにはそんなあてなどなかったはずなのに、次第に恵里の足はある場所をめざし始めている。

(もうダメ。私、みんなに迷惑をかけるばっかりだわ。このまま何も言わずにいなくなってしまった方がいいのよ。例え一時的には混乱しても、その方がきっとみんなだって……)

 髪を伝って滴る雨と瞳からこぼれ落ちる涙とが混ざりあい、同じ筋となって頬を流れ落ちていく。
 その涙を拭って、恵里は顔を上げた。
 恵里がたどり着いた場所……それは二ヶ月前、帝撃に入るため上京した恵里が、幼なじみの青年と別れた桜の大木の下だった。

 帝国歌劇団に入ってきっとスタアになるわ。

 彼にはそう言って別れた。
 恵里は笑顔を浮かべていたが、彼は終始眉を寄せた苦い表情のままだった。

「恵里にはもっと別の生き方の方が似合うと思うよ。来月もその次の月も今日と同じ三日の日は君のために開けておくよ。僕はここで君を待っている。君と一緒に帰ることのできる日を待っている」

 別れ際、彼はそんな言葉を呟いて恵里の手をとった。
 口数の少ない青年――であったわけではないのだが、そんな告白めいた言葉を彼が恵里に投げかけたのは初めてのことだった。
 それが嬉しかったからなのか……。
 或いは、自分の知らぬ場所へ行こうとする恵里の心情を理解できない彼の頑なな重いが哀しかったからなのか……。
 そのどちらもがない交ぜになった心地で、恵里はあの時、幼なじみ――その淡い感情に終止符が打たれたのを感じていた。
 あの時だって、彼が来月の三日にここで本当に待っていてくれる、と思ったわけではない。恵里にとっても、そして多分彼にとっても、兄弟のように育ったというだけで将来の約束をしたというような仲ではなかったのだ。ただ彼はーーひょっとしたら歌劇団に入る、としか言わなかった恵里の言葉の裏にあった本当の決意を見抜いていたのかも知れない。そして恵里の心のどこかにあった躊躇――華撃團という未知の場所に抱く不安が、きっと彼にそんな言葉を言わせたに違いない。
 だがもう、あの時には恵里の気持ちは決まっていた。
 例えもっと別の言葉で引き留められたとしても、頷くことなどあり得なかっただろう。
 彼のことを忘れていたつもりはない。だが、先月――五月三日のことを振り返ってみても、ぽっかりと穴があいたようにそのことを考えることなく過ごしていたように思えて鳴らない。
 それなのに……。

(今日が六月三日だから……だから私、飛び出したりしたのかも……。あの人が迎えに来てくれているから……だから逃げ出して楽になろうとしている……)

 そんな罪悪感も抱いていた。
 こんな時だけ、逃げ場を探して幼なじみの優しさに縋ろうとする自分が、情けない。
 二ヶ月前、桜は満開の花に彩られて遠くからも花霞が目を惹くほど鮮やかだった。しかし今は桜の大木は濃い緑に彩られ、周囲の光景に溶け込むように佇んでいる。
 彼がいるわけはない。
 もしいたからと言って、本当に華撃團から逃げ出してどこかへ行くことなんかできるわけはない。
 そう思いながらも強い雨に煙る視界に人影を見たとき、恵里は胸の鼓動が痛いほどに強まるのを感じた。

「あ……」

 一瞬、声がもれた。
 桜の木の下に立っていた男も、その声にふと顔を上げる。
 恵里の視線と、その男の鋭い視線とが、ぶつかり合うように交錯した。
 それは恵里の幼なじみの青年ではなかった。そして……日本人でもなかった。大柄な金髪の外国人が、いぶかしむような目で恵里を見つめている。

(雨宿り……という風情ではないな……)

 もの凄い形相で走ってきた少女が自分の立っているのと同じ桜の幹にもたれ掛かって長い嘆息をついたのを横目に、その男・ハインリヒ・フォン・マイヤーは僅かにその強ばった表情を和らげた。
 今更雨宿りと言っても、彼女は頭のてっぺんから爪先まですでにずぶぬれである。

(俺と同じに、来ると期待できない相手を待つために来たというところか……)

 マイヤーは苦笑した。
 日本に来てまだ数日だが、どこの国であろうと年頃の娘が髪を振り乱して走る理由なんてそうはないはずだ。
 逃げ出したい。
 でも逃げ出すなんて……できない。
 その少女の、悲痛とも言える思いが、全身からにじみ出ていた。
 まだ本当の挫折を知らない幼さの残る顔立ち。一途でひたむきであるからこそ、大人の目から見れば些末とも思えることに一喜一憂する。
 そんな気持ちを……マイヤー自身はもう失って久しかった。
 故国を離れ、流れ流れて来たその課程で、マイヤーは幾度も泥を嘗め、砂を噛む思いを味わってきたのだ。
 だが今、涙を堪えている少女を前に、その青さを笑う心地にはなれなかった。
 何故かは分からない。だが、自分でも驚くほど……優しい気持ちになっていた。

「使うかね、そう、きれいな代物じゃないが……」

 そう言って、マイヤーは少女・恵里に差し出してやろうとコートのポケットからハンカチを取り出した。ポケットに突っ込んだままになっていた品物が、その拍子に、雨に濡れる地面に音を立てて落ちた。

「あ……!」

 弾かれたように手を伸ばしたのは恵里の方だった。
 騎士十字章――マイヤーがかつて故国で手にした輝かしい勲章。それが泥を跳ね上げる激しい雨の中で鈍く光っている。

「汚れてしまったわ。大事なものなのに……」

 勲章についた泥を指先で払う。
 うらぶれたように見えるこの男が、遠い異国でも手放さずにいる品。この小さな勲章に込めた彼の思いが恵里には見えたような気がした。

(この人も、何かから逃れようとしている)

 そう、悟るように気づいたのだ。

「構うことはない」

 すまなそうな表情の恵里に、だが、マイヤーはぶっきらぼうに言い放った。
 彼女の手から奪うように勲章を取ると、無造作にポケットに戻す。そして泥のついた彼女の指先を、取り出したハンカチでそっと拭いてやる。

「すみません。私……私こそ構わないんです、これくらい。どうせもう……ずぶぬれですから……」
「……」

 マイヤーは押し黙った。
 そして恵里もまた、続いて口にしようとした言葉を飲み込むように息を詰めた。
 雨の中に佇むふたりの間に、再び沈黙が生まれた。
 だがそれは交わす言葉を失ったせい――ただ同じ桜の下で雨宿りをしただけの他人に戻ったから――ではない。
 マイヤーも、そして恵里も……。
 視界が白く煙るほど激しい雨の向こうに、ただならぬ気配を感じたためだった。

其の弐  対峙


「魔操機兵……!」

 恵里は戦慄を覚えた。
 恵里とマイヤーが立つ桜の木から少し離れて、長刀を手にした魔操機兵・足軽の姿がある。まがまがしい気配はまさに、その足軽から発せられたものなのだ。
 頭部に穿たれた穴を覆うガラスが、邪悪な視線をふたりに定めていた。
 血に飢えた獣のように、今にも襲いかかって来ようとしているのが分かる。

「マソウキヘイ……だと?」

 マイヤーもまた、足軽を見つめて驚愕の思いを隠しきれなかった。
 帝国華撃團・雪組の隊員として、魔操機兵の存在を多少なりとも識っていた恵里とは違い、マイヤーにとってはまさに、白昼にこの世ならぬ魔物を見た心地である。
 いや……恵里にしたところで初めて間近に見る敵に対する恐れ、戸惑いは変わることはない。
 雪組に入隊してから二ヶ月、恵里はこの魔操機兵どもと戦うために厳しい訓練を繰り返してきた。だが、その初陣とも言うべき戦いが、こんなにも早く、そして突然に起こるとは思ってもみないことだった。しかも今は、武器と呼べるもののひとつさえない丸腰の状態である。
 だが……。
 ここでまた――辛い訓練から逃げ出したように――逃げるわけには行かないのだ。
 悪天候のため往来に人影はないが、ここで恵里が戦わなければ、必ず被害が出る。そして、ここで逃げたら今度こそ本当に……二度と帝撃に戻ることは叶わなくなる。
 仲間たちに、顔向けする事さえできない後悔を、必ず味わうことになる。

(戦うしかないのよ)

 恵里は、臆する気持ちを抑えて自分自身にそう叱咤した。
 足軽を見据え、戦う覚悟を決めた途端、雨に濡れて冷え切っていた身体に火がくべられたように熱い力がこみ上げてくる。
 この力こそが……恵里を雪組の隊員たらしめる資質、でもあった。

(戦ってあいつを倒せば……きっと私にはやれる。雪組の隊員として、誇りと自信を持って戦うことができるはずだわ!)

 恵里はちらり、とマイヤーを見上げた。
 驚きのあまり声も出せずにいるかと思ったのだが、マイヤーの表情は冷静だった。少なくとも恵里には、そうと見えた。
 懐に手をやり、応戦の構えを見せている。

「どいていろ」

 愛用のルガーのグリップを握り、マイヤーは自らの背中に恵里をかばうように一歩雨の中に足を踏み出した。
 安全装置を解除し、銃口を足軽に向ける。
 その瞬間、足軽もまた枷を外されたように地面を蹴って飛びかかってきた。長刀を振りかざし、迷うことなくマイヤーに切りかかってくる。

「危ない……っ!」

 恵里の悲鳴が響いた。
 だが、その一撃をマイヤーは間一髪でかわした。虚しく空を切って振り抜かれた長刀が、飛沫を上げながら地面を叩く。
 呻くように蒸気を吹き上げて体勢を立て直そうとする足軽。
 その時、敵に生まれたわずかな隙をマイヤーは見逃さなかった。焼け付くような蒸気にも構わず、足軽の懐に飛び込むとルガーの引き金を絞る。
 立て続けに三発の弾丸を撃ち込んで、素早く身を翻した。
 相手が人間なら……いや、マイヤーのこれまでの経験から憶測できる範囲の敵なら間違いなく息の根を止めていただろう手応えがあった。
 だが……。

「……何だとっ!?」

 マイヤーは愕然とした。
 足軽はかすり傷を負った程度の痛手も受けてはいないかのように体勢を立て直したのだ。長刀を中段に構え、再びマイヤーめがけて斬りつけようとする。

「くっ……」

 無駄とは分かっていても、他に手段はなかった。
 息の根を止めることはできなくても、せめてこの娘が逃げ切る時間を稼がなければ……。そう考えてマイヤーもまた拳銃を構える。

「早く逃げろっ! ぐずぐずするなっ!!」

 怒号が発せられた。
 マイヤーの背後に立ち、鋭い視線を敵に向ける恵里。
 しかしマイヤーには、その恵里の表情を振り返る余裕はなかった。彼女が恐怖に我を忘れて立ちすくんでいるのだと……そう誤解した。

「駄目よっ! 魔操機兵にはそんな武器じゃかないっこないわっ!」

 そう叫ぶが早いか、恵里はマイヤーと足軽との間に割り込むように身を躍らせた。
 胴斬りの体勢で襲いかかってくる長刀を素手で押さえ込むと、足軽を横投げにする。
 同じ年頃の娘と比べても大柄で、日頃の鍛錬の成果も手伝って力自慢の恵里だったが、勿論その力だけでは鉄の塊と言ってもいい魔操機兵を投げ飛ばすことなどできるわけはない。相手の勢いを巧みに利用して自らの攻撃に取り込むことで、不可能とも言える技を可能にしているのだ。
 相手が強ければ強いほど、その力を利用して強力な攻撃を放つことができる。
 恵里の武道家としての類稀な才能と、幼い頃からその身に叩き込まれた体術の成果――なのである。

「倒してみせる! 必ず……!!」

 気迫の隠った言葉が、その唇から流れ出た。
 それはさっきまで雨に打たれるにまかせ、肩を震わせてすがりつくように逃げ場所を求めていた少女とはまるで別人の表情だった。
 その全身から、揺らめく炎のような光が次第に強く浮き上がってくる。

(この少女は……一体……)

 マイヤーは声も出せずにその光景を見守っていた。
 彼の身体の奥にある何かが、じりじりと鎌首をもたげるように目覚めようとしていた。
 今、自分自身が置かれた流れ者の境遇……。そこから這い出して自らの掌中に何か形ある手応えを掴もうとする強い思いがマイヤーの身体を揺さぶるように激しくわき上がってくる。
 守るべきものもなく、同時にまた失うものもない今の自分ではなく……。
 例え叶うはずのない敵と対峙してもがむしゃらに挑みかかって行く意志が、かつてはマイヤーにも逆巻くようにみなぎっていた。
 そして何もかも失った今も……。
 その意志だけはすり切れてはいないのだ。

「はぁぁぁぁぁぁっ」

 鋭い気合いとともに、恵里は地面を蹴って敵に飛びかかった。
 もはや劣勢に追い込まれた足軽もまた、最後とのあがきとも言える捨て身の攻撃に転じる。
 次の瞬間、恵里は敵の胴を抱き込むように掴んだ。そのまま、しなるように身体を反らせて足軽の身体を持ち上げる。

「うっううううううっ! ぐうっっ!」

 歯を食いしばり、恵里は腕に力を込めた。
 ぐぐっと敵の足が地面から浮き上がった。
 そして……。

「とどめよーーーーっ」

 その恵里の快哉の叫びとともに足軽は頭から地面に叩きつけられた。
 瀕死の呻きのように足軽の身体から力無く蒸気が漏れ出て……そのまま、動きを止めた。

「…………………………」

 激しく肩で息をしながら、恵里はその場にヘタリ込むように座り込んだ。
 全身が激しい疲労と、きしむような痛みに支配されている。
 だがその苦痛とは裏腹に、彼女は充足の表情を浮かべていた。

「倒したのね、私。魔操機兵を……」

 紅潮した頬に、今は冷たい雨の滴が心地よい。
 つかの間、恵里は勝利の余韻に浸ってぼんやりと宙を見つめていた。

「大丈夫か……」

 歩み寄ってマイヤーは恵里に手をさしのべた。

「ええ。私……」

 勝ったわ。そう言おうとして恵里は口ごもった。
 見も知らぬ男の前で、足軽相手に大立ち回りを演じた自分が、急に恥ずかしくなってくる。
 そう――恵里もまた、年頃の娘。例え武道一筋に育てられたとは言え、恥じらう乙女の一面も持ち合わせているのだ。
 思い返せば無惨に夢敗れた文学青年への片思い以来、この怪力のせいで幾度、涙の苦さを味わってきたことか……。

「私、もう帰らなきゃ……」

 濡れた髪を照れ隠しになでつけて、恵里は立ち上がった。
 まだ満足に身体に力が入らなかったが、ふらつく足どりでさっき失意を胸に走ってきた道を戻っていく。

 帰らなきゃ……雪組に。
 私の果たすべき使命の待つ場所へ……。
 仲間たちの待っているところへ。

 雨は次第にその激しさをひそめ、まばらになってきていた。

 もう迷わない。
 どんなに苦しくても、逃げ出したりしない。私は戦えるわ。帝都の平和を守るために、死力を尽くして戦うことができるわ。



「驚いたな……まったく……」

 足軽の残骸を見下ろして、マイヤーはふとそう呟いた。
 それはこれまで考えもしなかったこの化け物の存在に、なのか……。それとも武器ひとつ持たずに果敢に敵に立ち向かい、ねじ伏せたあの少女に……なのか。
 或いは………………。

「日本には、案外長居することになるのかも知れないな……」

 そんな予感を、ハインリヒ・フォン・マイヤーはかすかに抱いていた。 



続く



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